釜ヶ崎から

釜ヶ崎から: 貧困と野宿の日本 (ちくま文庫) 文庫 – 2016/1/7、生田 武志 (著)

今年28冊目の書評。

大学在学中から釜ヶ崎に通い、ずっと野宿者・日雇い労働者の支援をしてきた著者による釜ヶ崎のルポ。膨大な量のエピソードからなっている。丁寧な筆致で釜ヶ崎に暮らす人々を描く文章からは、著者の当事者らへの眼差しの優しさを感じることができる。一点だけ注文をつけるとすれば、エピソードに比べてファクトが少ないため、本書をもってアドボカシーに取り組むのは非常に難しいだろうということだ(それが本書の役割ではないといえばまあそうなのだが)。

日雇い労働者の町であり、大阪に住む子どもの多くが「あそこには近づくな」といわれる釜ヶ崎に僕も大学生の頃に行ったことがあり、今は以前よりも頻繁に足を運ぶようになった。この地に関わっている人たちが口々に言うのが、「ここでならどんな人も生きていける」という肯定的な言葉だ。貧困が可視化されているために誰が困っているのかが分かり、その困っている人を助けようという人々がいるからだ。

普段仕事で訪れる国でも感じることだが、持つものが少ないほど人として優しい場合が多いというのは僕も感じることだ。実際に彼ら・彼女らが置かれている状況の厳しさからは想像できないような思いやりに接することは少なくない。持たざる者ほど神様に近いという教えの通りだからなのか、他人の心の痛みを分かっているからなのか。こういった思いやりの気持ちが、最後のセーフティネットとして機能しているというのは事実だ。

しかし、もちろん厳しい現状もある。3日に1人が路上死し、暴力団による抗争は絶えず、他の路上生活者からお金を強奪する「シノギ」は絶えず、味方であるはずの行政も手助けをせず、一生懸命に空き缶を集めても稼げるのは1日に1000円未満で、彼らを対象とした貧困ビジネスは拡大していて、近隣住民からは「怠け者」「粗暴者」と偏見を持たれ、少年たちから襲撃されるのが後を絶たない現状を、著者をはじめとする実務家たちは僕なんかよりもはるかによく知っている。それでも「ここでなら生きていける」と肯定的に話すのは、ここに住む人々の優しさに対する信頼や、自分たちの手でそういう町を作っていこうという意志があるからなのだろう。

釜ヶ崎でもジェントリフィケーションが進んでいる。そこに住むことになる高所得層のための町の再開発などの過程に都心部にあるスラムやホームレスの居場所が排除されていくことだ。地下が高まるため地元商店も同様に一掃される。ハーレムやスキッドロウで起きたジェントリフィケーションは、いま釜ヶ崎でも起きようとしている。この釜ヶ崎再開発の会議には僕もたまたま参加してみたが、完成予想図の町並みが現在の釜ヶ崎と同じ場所とは思えないほど小綺麗だった。渋谷の宮下公園の前と今を思い出す。

近年において路上生活者となる人には若年層と女性が増えており、釜ヶ崎のような場所にやってこないことが多い。彼女・彼らの居場所は24時間営業のレストランやネットカフェだ。家を飛び出して路上生活者となることが多いため、コミュニティに所属したいという思いが弱いことが多く(またはコミュニティを避ける)、釜ヶ崎のような場所で受入れることもできていない。新しいセーフティネットをどうやって作っていくことが出来るのかが問われている。

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