志が人の器に果たす役割

シラーが「人間を偉大にしたり卑小にしたりするのは、その人の志である。」という箴言を残していたことを、多くの人が知っているとは思うけど、最近その言葉の意味をもう少し深く噛み締められるようになった気がする。

世の中を見ていると、賢さと人間としての度量は大抵のケースにおいて反比例する。賢い人はへたに先が見えてしまうから、ついついリスクを見積もった結果として度量が小さくなる。ちょっといい方を変えると、人間がケチくさくなる。一方で、度量が大きい、といわれるような人は少なくないケースにおいてただのバカだったりする。だから、ときどきとんでもないことをしでかす。

でも、賢さと度量が両立している人というのは一定数存在していて、そういう人の共通点は何なのだろうということを今日ヤンゴンの町中を散歩しながら考えていたら、冒頭のシラーの言葉に辿りついたわけだ。

志が途方もなく大きければ、その人がたとえ賢くて先が見えてしまう性質があったとしても、その「見えてしまっている未来」を乗り越えるために必死になるから、小さくまとまることは無いのだろう。

中国とかの新興国のリーダーたちのレベルは日本とかのそれと段違いなんだけど、その理由もこの志にある気がした。彼らはただ賢いだけでなく、高い志を持っている。だから小さくまとまらず、ガンガンと進み続ける。

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