バックグラウンドが似ているからといって、その人がロールモデルになるとは限らない

家入さんのインタビュー記事に、最近の問題意識に近いことが書かれていた。

 僕も昔は「僕みたいな中卒の人間でも、起業して成功した。だからみんな起業しよう」みたいなことを言ってたんですけど、でもそれってウソじゃんって思うようになっちゃって。
 たしかに僕自身は起業して救われたし、その経験があったからこそ活動の幅が広がったのは事実です。
 だけどこれはあくまでも僕の人生であって、再現性はまったくない。

何人かは知っているかもしれないけど、僕は未だにパスポートを持たないで毎週住む国を変えながら五常の仕事をしている。それをしながら「同じような境遇の人がそれで元気になれたらいいな」とか思っていた側面もあった。

だけど、それは幻想だなと最近思うようになった。最近久しぶりに会った先輩は僕にこう言った。

強いやつだけがツッパることができる。テジュンは頑張っていると思うけど、周りから見たら、「それはテジュンだからできることだよね」と思ってしまうよね。実際、テジュンのことを知っている人も、国籍を取ってパスポートを取りに行っているという現実があるわけだ。

正直なことを言うと、それを言われたときには少し悲しい気持ちになった。「こちとらいつも大変なんだけどなあ」と。

だけど、少し落ち着いて考えてみると、確かに先輩の言うことは正しい。当たり前のことで、バックグラウンドが似ているからといって、その人が全ての同様の境遇の人を元気づけるとは限らない。少なくない人は「彼は彼、自分は自分」と思うのだろう。

だから思うんだけど、自分が何かに一生懸命に取り組んでいるマイノリティの皆さんは、自分がロールモデルになることや、同じような境遇の人たちを元気づけることをあまり意識しすぎないほうがいいんじゃないかな。もちろん、そう思う人たちがいたら嬉しいし、そうなることを願うし、それが僕にとってはモチベーションの一部であることは否定しないけど、他人が僕を見てどう感じるかは、僕たちにはコントロールできないことだ。

自分の行動で誰かが元気を得るかどうかはあまり気にせず、自分の心に従って今やるべきことを一生懸命にするだけでいいのではないだろうか(ややこしいけど、他人を元気づける職業の人はもちろんそれで良いと思う)。

自分が今やっていることは、他人に元気を与えるためが第一の目標ではなく、全て自分が望んだことだから。大変なのも自分で選んだこと。そうすれば、変な言い訳もできなくなり、物事がスッキリする。


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