ブロックチェーンがつくるムラ社会

WIRED VOL.25/特集 The Power of Blockchain

32冊め。WIREDのTech系特集は読み物として大変に面白い。初学者でも読めるように配慮しつつ、結構骨太な論考が並ぶ。海外事例の記事が大部分を占めているのも有り難い。とはいえ、この巻の白眉は岩井克人さんの貨幣論だったわけだけれども。

ブロックチェーンというのは、平たくいえば、もともとはお代官様が「お前が正しいことを言っている」として正しさを担保していたものを、みんなが事件の現場を目撃してとった記録帳の多数決(基本的に100:0になる)で決める仕組みに変えるものだ。お代官様に賄賂を送ったりしてその意見を変えることは出来るかもしれないが、過半数の人のノートを変えることは相当に難しいので、結果として正しさがより高い信頼度で担保されることになる。

「全ての取引や約束事を人々が持っている台帳に記入する」という方法で信頼性を担保するというのがブロックチェーンのキモなわけだが、この特集に書いているように、それがどんどん進んでいくと、ぐるっと回ってまたムラ社会が帰ってくるのかもしれないな、という予感がする。

小さな村では誰がどのような人でどのような暮らしをしていて、更にはどういった持病を持っているかなんてことまで知っている。人間がそうやって深く事情を認識できる組織の規模感は、脳みその記憶キャパによって規定されていたわけだが、コンピューターの記憶キャパは桁外れに人間よりも大きいので、そんな心配はない。新しいムラ社会はいくらでも大きくなる。

ムラ社会コミュニティが好きな人もいるだろうけど、嫌な人もいるだろう。僕はどちらかというと嫌いなほうだ。みんな誰かを傷つけない限り自由に生きればいいので、他人の振る舞いについてヒソヒソ話をする人々がいる場所には生きていたくない。SNSは若干そういう場所になっているわけだが、そこは嫌なら出ていけばよいのでまだよい。だけど、僕達のリアルな行動が全て一括記録されるような世界においては逃げ場がない。

そういう衆人環視社会から誰も逃げられなくなったら、そこでは人々はもっと「清く正しく」行動するのだろう。浮気をする人や泥棒をする人、ゴミをポイ捨てする人も減るだろう。それは人類の存続にとっては良いことかもしれないが、僕にはとても窮屈な感じがする。

とはいえ、これは止めようのないトレンドのようなものなので、どうやってそういう社会で生きていくのか考える他ないんだろう。やれやれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?