仕事で人にお金を出す人が一番気をつけないといけないこと(の一つ)

前職の社長が投資委員会で「この場で話されていることは、お天道様が見ていると思え」と話したことを今も時々思い出す。ファンドにありがちな、知能はあるけど精神的に未熟な若手がお客さんに対してとても上から目線な物言いをしていたとき、釘を刺すために放った一言だ。

五常の仕事をするようになって、これは死活問題となった。投資の意思決定をするときの議論において、この会話が投資先の人に聞かれてたとしても信頼関係を結んでいけるのだろうかということはよく考える。具体的には、相手に対する敬意に基づいた議論がされているかどうかを自省するわけだ。

僕の考えるところによると、内部の議論で相手をバカにしている団体というのは、その精神的な臭気がちゃんと外部にも醸しだされていて、結果としてとても感じが悪くなる。残念なことに、プロフェッショナルファームや財団・ファンドには、そうなってしまっている組織が結構ある気がする。結果として、そんな組織は、クライアント、寄付先や投資先(僕の仕事の場合)との信頼関係を構築できなくなる。

特に大変なのは、財団やファンドだ。お金を出す人が傍若無人に振る舞っても周りは指摘してくれないので(陰口はあるけど)、なかなか自己修正ができなくなる。そして、気がついたときには周りに誰もいなくなっている。もしくは、いざ一人で何かやることになったときに周りに誰もいないことに気がつく。構造的にガバナンスが利きにくいので、原理原則を自己に課して、それに鑑みて自己を振り返るというプロセスを持たない限り、いつかはこうなってしまうのだろう。

例えば僕のいるLiving in Peaceでは寄付者からのお金を預かって親と育てない子どもの支援をしている(基金は3000万円を越えました。感謝)。寄付者、受益者である子どもたち、社会にとって良いことは何かという視点に立って、支援先に対する敬意を基にして、次の支援先を議論している最中。1ヶ月後には次の支援先を報告できそうです。


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