走ることについて。3
佐渡一周マラソン208kmその2
真っ赤な朝焼けの中を、走り続ける。
残り100km地点で水ぶくれが破れた。ここで、コイズミさんにウルトラランナーの水ぶくれ治療法を教わる。曰く、水ぶくれに直径3ミリくらいの穴を空け、そこに軟膏を流し込み、水ぶくれの中にまんべんなく行き渡らせる。最初はとてもしみるのだけど、1時間も経つと痛みが完全になくなるとともに、消毒が済み、化膿することがなくなる。
残り90キロ地点で右すねの筋肉が痛くなる。シンスプリントと同じ痛み。とはいえ休むことはできないし、ここですねをかばってフォームを崩すと全てがダメになるので、足をなだめすかしながら走る。とにかく、距離が伸びてくればくるほど、身体の至る所が、意外な場所を含めて痛みだす。
5時間ほど走り歩いて、二日目の第三エイド到着。この時点ですねはかなり損傷。このエイドでリタイアした方にコールドスプレーを分けてもらって、すねに吹きかける。
とにかく僕は準備が悪い。コイズミさんが持っていた軟膏も、他の方が持っていた小型のコールドスプレーも持ちあわせていなかった。
ただ、これは単に僕の準備が悪いだけではなく(確かに小学生の頃は一年で200回は忘れ物をして、ランドセルすら忘れたことがある)、僕が初心者であることに起因していると思う。
持ち物をどうするかというのは、ウルトラランナー最高の知恵の結晶だ。レースでの持ち物は自分の怪我しやすいポイントや体調などを考えてカスタマイズされる必要があり、遠足の持ち物のように必要項目を埋めれば良いわけではない。荷物が重ければ重いだけ身体は重くなるので、皆、電池一本の重みも考えて荷物を選び、持ち物は、ハプニング用に持っているものを除き全てきれいに使い切る。一方の僕は、結局最後まで使わなかったものがいっぱい残っていた。
その後長いレースを続ける過程に、僕の持ち物はずいぶんと減っていった。それとともに、小学生の頃は「ドラえもん」というあだ名がついたほどになんでも持ち歩いていた僕のカバンの中身は、最近はずいぶんと軽くなった。昔には考えられなかった手ぶら移動も増えたし(小さい文庫本をポケットに突っ込む)、1週間の海外出張に出るときでさえ、吉田カバンのスリーウェイバッグ一つとスーツを包むカバーだけで行くようになった。これだと全て機内持ち込みが可能になるので、毎回毎回そわそわしながら荷物を待つ必要がないし、現地についてからも早く動ける。
ミニマリズムは、僕が憧れる文体でもあり、生き方でもある。必要なものを、必要なだけ。日が経つ毎に、僕の周りからは本以外のモノが減っているのだけど、それは間違いなくウルトラマラソンの影響を受けたものでもあると思う。
ランニングの話に戻ろう。まだ80km残っている。
空を真っ赤に焦がしていた太陽はもう大分上に登り、強い日差しが黒いシャツとタイツに照りつける。自分の服が黒でなかったら良かったのに、と少し後悔する。
残り72km地点で、仮眠をとってから追いついたアキとアミが待っていてくれた。ここでいったん休憩して、また出来ていた水ぶくれに軟膏を塗りこむ。
昨日渡しておいて受け取るのを忘れていたサプリを取り、この暑さでは全く不要になったと思っていたレインコートを預け、ランニング再開する。
右すねを無意識にかばっていたからか、今度は右足首が痛くなる。動かすだけでズキズキする。でも休みようがないし、死ぬ痛みではなさそうだから、フォームに気をつけて走り続ける。
そうこうしているうちに、小木港に到着。トライアスロンのレースでは、バイク最後の山場の小木坂がある場所。幸いにも薬局があったので、冷感成分が入っているコールドスプレーと栄養ドリンクを購入。痛くなってきた腰に吹き付ける。
小木を通り過ぎ、激しいアップダウンの坂道を越えて宿根木へ。昔ながらの美しい家が立ち並ぶ場所。カメラを持っていなかったのが悔やまれる。今度走りに来るときは、何があってもカメラは持ち歩こう。
さらに走り、午後5時頃に最終エイドに到着。ここまでは予定通り。残り48キロだから、時速4キロで歩いても間にあう。
足首がもう異常に痛い。これは筋肉が機能しなくなった結果、筋に負担がいっているのか、ズキズキと痛む。
一緒に走っていたコイズミさんが、これを見かねて「これ使う?」と出してくれたのが、ニューハレのテーピング。
「私も足首が弱かったのでもしものために取っておいたのだけど、この調子だと大丈夫そうだから」
神様だ。
このテーピングで足首を固定してみたら、ものすごい効果を発揮してくれた。足首の痛みがかなり和らいで、すごく楽になる。これなら行ける気がする。
ゴールまでお店もほとんど無さそうだし、そもそも田舎では夕方には店が閉まるので、エイドに残っていたカステラやおにぎりを食べられるだけ食べて、出発。
最終エイドを出発して少しすると、もう景色は暗くなる。このあたりは一番人通りも少なく寂しい海岸線。宵がかりの暗さの中、人気が全く無いなかを打ちつける日本海の波を見ていると、世界の最果てにやってきたかのような寂寥感がこみ上げてくる。ここを一人で走っていたら、どんな気分になるのだろう。
ここから10kmくらい進んだ後、またまた痛恨の道間違い。電灯の全くないあぜ道で、15分くらい途方にくれる。
しょうがないので、元に来た場所まで戻ると、そこで地元のおじいさんがタバコをくゆらせていた。地図を見せて、「ここに行きたいんです」というと、車を出してくれて、道案内をしてくれた。当然車には乗らず、後から走ってついていく。
そういえば、超長距離のウルトラマラソンでは、大抵の場合、前にも後ろにも誰も見えない状態で走り続けているにもかかわらず、車に乗せてもらったとか、自転車に乗ってみたとかいう人の話を聞いたことがない。多分、ゴールやタイムそのものよりも、プロセスを大切にする人が多いからなのだろう。苦しみの末に分かることを追い求めるのが走ることの目的であれば、ズルをすることの罰は誰よりも自分にふりかかってくる。
電灯の無い道を更に7km弱走ったところで、やっと大通りに出た。ここでまた休憩。自動販売機で何かを買おうとしたら、スポーツドリンク系がことごとく売り切れていた。前にきたランナー達が買っていったのだろう。ビリから何番目かを走っていると、こうなる。
休憩中はなかなか大変だった。夕方に腰に吹きつけたエアーサロンパスが、必要以上に強力でまだ冷感が強烈に残っている。座っていると寒くて震えてくる。歯がガチガチ鳴る。レインコートはさっき預けてしまったので、寒くて困る。
やっと車が通行できる大通りに出たので、多分アキとアミがどこかで待ってくれているだろうと思った。一緒に走っているコイズミさんは半信半疑だった。
「だって、こんな時間だし、どこにいるかも分からないし。あの二人も疲れているでしょう」
「いや、ぜったいあの二人はどこかにいます」
この信頼はどこから来るのだろう。よく分からないけど、確信だけがある。
果たして、大通りに出てから5kmほど走ったところに、二人の乗っているレンタカーがつけられていた。待ち疲れたのか、二人とも眠っていた。窓をノックして、充電に預けていた携帯電話とレインコートを手にする。走りながらずっとTwitter中継をしていたので、途中で6時間くらい中継が途切れていることを、多くの人が心配してくれていた。
ここで残り32km。時間はまだまだある。
ここから先はまた長いアップダウンの繰り返し。それが終わると、最後の海岸線沿いの長い一本道。トライアスロンのレースではここを自転車で突っ走るのだけど、常に強い向かい風が吹いている。季節の風なのだろう、今日も強い向かい風が吹き続けていた。それを黙々と走り、ついに佐和田に到着。残り16キロ。
もう足首もかなり痛い。テーピングをしているとはいえ、痛み出してからもう70kmは走っているのだから当然だ。でも、まだ走ることは出来るので、歩くことと交互にジョギングを続ける。ストップウォッチを使って、2分走って、また2分歩いて、の繰り返し。
レース前に手渡された20数枚の地図も残り2枚になっていた。
最後の1枚を覗いていみると、ゴールまでの距離が208kmと書いてある。
一瞬頭がボーっとする。なんと、佐渡206kmエコジャーニーというタイトルであるにもかかわらず、このレースは208kmのレースだったのだ。このタイミングで2km距離が伸びるのは随分とクラクラするが、人生もそんなものだ。詮ない悩みはしないで、走り続けよう。
残り10キロ。足はもう大変な状態だけど、まだ大丈夫。ここでとんでもない故障にあうのだけはいやなので、慎重に足を進める。佐和田を超え、相川に向かうまでの最後の道に向かう。またここでも激しいアップダウン。残り3km地点まで、このアップダウンはずっと続く。
残り2km地点で、ゴールが遠目に見えてきた。残り1km地点では、アミが待っていてくれて、最後の伴走をしてくれた。ゴールでは、アキがカメラを持って待ち構えていた。
そして、無事にゴール。
時間は46時間30分。元々は42時間ゴール予定だったが、最後の足の痛みで大分遅れてしまった。とはいえ、時間内に着いて本当に良かった。
結局二日目は午前4時から次の日の午前3時半まで、ずっとコイズミさんと一緒に走っていた。この人と一緒でなかったら走り切れたかどうか。
「お疲れ様でした!」
と二人で握手。
早速お風呂に入りすっきりしてから、ビールを飲んでまったりする。ソファーに寝転んでいたら、いつの間にか眠りについていた。
完走した後に、アキが感想を聞いてくれた。
「どう?208km走りきってみての感想は」
疲れているときに、人は考えたことを脳内で検閲にかけずにそのまま話してしまうらしい。
「運が良かったし、周りに助けられた」
「運がいいだけじゃ、208kmも走れないよ」と、彼は笑っていた。
僕は、口をついて出たこの言葉の意味を何日か考えてみた。そして、これこそが、僕がこの佐渡を走って学んだことなのだと思う。
正直なところを言うと、特に初日目は、完走した後には「やりゃできる」とか「要は気合」とか威勢のいいことを言ってやろうと思っていた。
そう思っていたから、神様に懲らしめられたのかもしれないけれど、初日目を走り終えてあのキツイ状態から110キロ以上を走り切れたのは、どうも自分の力のように思えなかった。神様の思し召しと、友だちの愛と、あとはほんの少しの運のお陰としか思えない。
何かを達成しようとするとき、個人の努力とか意志はすごく大切だと思いはするけれど、物事がうまくいくかどうかは、それ以外の多くのことに依存していると思う。天気だったり、周りの人々の助けだったり、道端に落ちている石ころだったり。
運命のいたずらに文句を言わず、人の優しさに感謝して、自分にできることをする。それが、僕の最大の学びだったのだと思う。一度覚えたら忘れないのが、自分の身体を通じて学ぶことのよいところだ。とはいえ、ちょっと時間が経つと、日常生活の中に埋没して忘れてしまうのだけど。
それと、強さについての考えも少し変わった気がする。どんなときも自分を穏やかな気持ちで見つめられること、どんな大変な状況でも余裕をもてることが強さなのかもしれないと思った。まだうまく言葉にはできないのだけれど、強さと荒々しさは全く別物だという考えが強くなった。
最後の数十キロ、身体中が痛かったし、風の音も波の音も強かったのに、僕は本当に静かな世界の中にいた。自己顕示欲はどこかに打ち捨てられ、肩の力が抜けていて、自分の中にこんなに穏やかな空間があるのだろうかと驚かされた。
精神的には20代最高の状態にある。なんというか、これまでよりずっと肩の力が抜けて、自意識からずいぶん距離を置くことができている。この状態で10月1日から30代を迎えられるのがすごくうれしかった。
このレースのきっかけとなった友人に対して抱いていた割り切れない思いも、綺麗さっぱりと昇華していた。
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