粛々と

久しぶりに、ただの走り書きのエッセイ。"Keep Calm and Carry On"のベストな日本語訳は「粛々と」だと思う。

スリランカもそうだけど、最近は暗澹たる気持ちになることが本当に多い。先日やってきたニュースはさらに追い打ちをかけた。

ミャンマーではすでに大勢の方が亡くなっているし、サガイン州やマグウェイ州などでは特に大勢の人が戦闘を逃れて家を離れて暮らしている。国民の約1%が国内避難民(英語ではinternally displaced peopleという)になっているのが現状だ。弊社の現地での貸倒れの理由にも、「家が燃やされて、その後消息を絶った」という項目が少し前に追加された。

とはいえ、少なくとも軍政が公的な場で反対派の人を殺すということはこの30年以上なかった。これによってミャンマーの状況はまたひとつ違うフェーズに入ってしまった。短期的には希望的観測をする余地はなくなった。

ゲバラは子どもに宛てて書いた手紙で「世界のどこかで誰かに対する不正が行われているときに、いつもそれに対して深く感じられるようになれ」と書いていた。その言葉は、大学生時代にゲバラ伝を読んだ頃からずっと胸に刺さっている。

そうあるほど、最近の世界情勢を見ていると正気を保つのが辛くなる。ウィグル、香港、ミャンマー、ウクライナなど、明らかな不正が大手を振ってまかり通っている。パレスチナのように、ほとんど公正な報道すらされない不正もある。本当に世界はひどい場所だし、こういうときに個人は極めて無力だなと感じさせられる。少なくとも、僕たちは何も止められなかった。

 
でも、長い目で見れば世界はよい場所になってきた。短期的な始点で世界を見ると絶望することばかりだけど、長期的に見れば世界は相応にまともに前に進んでいる。

日々鬱々とした気分にさせられるのだけれども、それに絶望することなく、砂漠に水を撒くような行動であっても、自分たちにできることを日々誠実にするしかないんだと思う。絶望してしまったら、奴らの思う壺だ。

いつか夜は明ける。夜明け前に投げ出してしまっていたとしたら後で後悔するだろう。(そんなことはないはずだけど)夜明けが来ないとしても、粛々とやるべきことを続けられなかったら後悔するんだと思う。


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