成長の最終フェーズ

ちょっと前に「最近成長している気がしない」と言っていた人に話したことを書いてみる。

ジョン・レノンとポール・マッカートニーが一緒にいたからこそ、ビートルズはビートルズになった。進学校やスポーツの強い学校に行くことの最大の価値は、周りにある程度勉強をしている人が集まっていて、切磋琢磨できることだと思う。

その一点において、僕はいわゆる難関大学に入った人たちをとても羨ましく思っていた。勉強はどこでもできるのだけど「この人すごいな」と思う人に出会うためには、入るのが相応に難しい学校にいかないといけない場合が多い。だからなのかもしれないけど、大学生の僕は始めたばかりのドラムに熱中した。音楽であれば、素人であった僕の周りには自分よりできる人がたくさんいたからだ。それ以外の時間は、基本的に周囲との交流もそこそこに古典読書だけをして過ごした。周囲からは変わり者扱いされたけれども、しょうがない。当時はその自覚がなかったのだけど、物足りなさをどうしても感じていたのだと思う。

ラッキーだったのは、当時はすでにインターネットがあったことだ。ブログを始めて、色んなブログを見るようになって、当時の自分よりもすごい人がたくさんいることに気がつくようになった。ハーバード留学記、Isologue、ふぉーりん・あとにーの憂鬱、NED-WLT、bewaadなど(懐かしい!)。この期間に色んな人と知り合い、生まれてはじめて様々なテーマについて一生懸命に考えるようになった。

その時からずっと、僕は自分が周囲の平均よりも劣っている場所を探して、そこに身を置き続けてきた。いきなり超上級者コースに行っても相手にされないので、自分が多少居心地悪く感じる場所に行き、居心地がよくなったら、次の場所に移っていった。フィールドが変わり、大きな自己変革が必要そうな難関にぶつかると、それを楽しんだ。たとえば、僕はいま最近始めた柔術にハマっている。

これって、地方出身者のほうが東京出身者たちよりオシャレになりがちである現象に似ているのかもしれないと思う。生まれ育った環境になかったものを、人は大人になっても追い求め続ける。

ただ、起業してからは、そういった自己成長の喜びが副次的なものになった。一番の目的は事業のミッション達成に切り替わり、自己成長は事業遂行の手段になった。事業に必要ならばそのために自己変革を続けるけれども(今もそうだ)、逆は真たりえない。僕がこれからMMAのプロ選手になれたら楽しいかもしれないけど、会社がミッション達成に向けて進んでいることに較べたら吹けば飛ぶようなものだ。

逆説的にはなるけれども、元々向上心がある人が、自分の成長を気にしなくなるくらい夢中になるものを見つけたときに、その人の次のフェーズの成長が始まるんだと思う。自分のやりたいことを見つけることが、成長の最終段階なのかもしれない。それくらい夢中になれるものを見つけられるのは、とても幸せなことなんだと思う。

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