家族のかたち

著者の徳さんとは、時々会うくらいなのだけど、なんとなく僕にとって彼女は大切にしたい友人の一人だと勝手に感じていた。その理由はうまく説明出来なかったのだけど、この本を読んでから少し腹落ちした気がした。

彼女は僕が書いた本の編集者だった。彼女は当時ディスカヴァー・トゥエンティワンの編集者で、書店営業をしてから編集部にいき、自分で社長の干場さんに提案してU25 Survival Manual Seriesというシリーズを自分でつくっていた。当時の彼女はたぶん25歳。自分の目線で、自分が欲しいと思う本をつくったのだろう。マンガと本の中間のような、なんともいえないテイストの本だった。

他の大人の編集者さんと較べたら荒削りだったけど、彼女には普通の人にはない視点があった。複雑な話を分かりやすくまとめる力については、当時から抜きん出ていた。更にいうと、集中したときの瞬発力もすごかった。

前職を離れてフリーになり、編集者からマーケターのようなことをしたり、また執筆をしたりとして過ごしていたようだ。それらの記事はソーシャルメディアに日々触れていると、結構自然とはいってくる。テーマとしては社会的養護、マイノリティ、途上国といったものが多く、それは編集者時代の彼女の領域とは違っていて若干不思議に思ったくらいだった。

その後、彼女が結婚したという知らせをFacebookで見た。それについて、ある人が「次世代カップル」とかそういう内容のことを言っていた。相手の人は確かに結構知られたメディアテック企業(と表現すればいいのか分からないけど)の人ではあるのだけど、なんか不思議な表現をするものだなというくらいに感じていた。

その後、「私は、自然に生理も排卵もありません。それでも今、妊娠5ヶ月です」という彼女の記事を読んで、僕は初めてこれまで何となく引っかかってきたことが理解できた気がした。彼女がそういう身体をもって生まれてきたことは、その記事を読んで初めて知った。

彼女は家族のあり方について考えていた。本書はそんな彼女が、若くして母になった人、性転換して父になった人、養子とその親、里親と里子など、様々な人々に話を聞きながらまとめたものだ。本書には統計もほとんど出てこない。だけど、実際に生きている人たちのエピソードから、様々な家族のかたちがあり得るということを、僕たちは確信すると思う。

 

僕も家族とは一体何なのだろうかとここ数年考えている。暫定的な個人的な結論をいうのなら、家族というのは、そういった客観的な要素ではなく、本人たちの主観的なコミットの産物なんじゃないかな。


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