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映画「牛久」レビュー

日本は極めて同質性が高い国だからなのか、同じコミュニティの中にいる人、あきらかにお客さんである人に対してはとてもホスピタリティにあふれている。物価も先進国としては安いので、旅行で訪れる国としては最高の国の一つだろう。

一方で、システムから外れた人に対しては、日本人が相手であっても冷酷になる。それは「おもてなし」の国である日本のB面で、現代版の村八分のようだ。児童相談所の中にある一時保護所においても、一部の場所では子どもに対する人権侵害が起きていた(今も起きている施設があるかもしれない)。その詳細は、「ルポ 児童相談所」に詳しく書いた。
 

映画「牛久」のテーマは日本の入管収容所のドキュメンタリーフィルムだ。映像の多くは、入管収容所で監督が隠し撮りしたものが用いられている。

元収容者らの証言から、内部での人権侵害の実態は語られていたが、これが映像の形で世の中に出たのは初めてのことだと思う。日本の行政機構はこういうやり方を極めて嫌うので、この映画が日本で放映されるまでには相当なハードルがあったのではないかと想像する。製作者側の執念に脱帽する。

映像が持つ力は、入管収容所の実態を強烈に描きだす。入管の職員による収容者への暴力映像は、ジョージ・フロイドに対する警察官とほとんど変わらない。

ただ、ここに登場する大臣や職員が悪者である断じるのは安易すぎる結論だ。たとえばこの映画に登場する森まさこ大臣は個人的にも尊敬している政治家で、日本の子ども支援などにおいても立派な仕事をされている。職員の人たちも、おそらく家庭では普通のいい人たちなのだろう。

一番深刻なのは、森まさこさんでさえ自分の言葉で答弁ができず、職員たちが暴力的な抑圧者にならざるを得ない日本のシステムにある。

入管収容所であっても、一時保護所であっても、その他「普通の人」の枠から外れた人のための施設であっても、同じ構造がある。情報は公開されず、パターナリズムが支配し、外部からの影響をほとんどうけない。最初は「これはおかしいのじゃないか」と思っていた職員も、いつの間にか現状に慣れていってしまう。

こういったガバナンス構造にこそ問題の本質がある。それが変わらない限り、問題は本質的に解決されないのだろう。

このような構造解決の第一歩は情報公開にある。当局が自主的に情報公開をしないのであれば、ジャーナリズムがその役割を果たすしかない。この映画は、その意味において素晴らしい仕事だと思う。今はまだ放映している映画館が限られているが、時間がある人はまず一度観てほしい。


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