”絶滅危惧種の鳥たちを救いたい!幸運の青い鳥が今の道につながる”株式会社 数寄屋(すきや)代表取締役 平田央さん
博多織や久留米絣など伝統的な織物の生地を使って、名刺入れやパスケース、小物入れ、アクセサリーなどの商品を制作するお仕事をされている、株式会社数寄屋の平田社長。社会を持続的に良好にする愛の信念を持ち、ご活躍されていらっしゃる、平田さんの素敵なお話をお伺いしました!
平田央氏プロフィール
出身地:福岡県宗像市
活動地域:福岡県
経歴:工学系の大学を卒業後にエンジニアとして設計の仕事に携わる、その後デザイナーに転身、40歳で独立しモノづくりの会社を設立、現在に至る
現在の職業及び活動:伝統工芸品や自然をテーマにした日用雑貨、ステーショナリーの製作販売/上記制作工程における障がいのある人との協同、商品開発サポート/気候変動問題の啓蒙、啓発活動
座右の銘:特に思いつきません
「生き物と自然と人間との関係性」
Q1 どんなDream,Visionをお持ちですか
平田 人間と自然の関係性が今よりも少しでも良くなる様に、ものづくりを通して貢献したいです。今、地球上は生き物や植物の大量絶滅期に入っていて、その原因の大部分は人間の経済活動によると言われています。
人間同士でもそうかもしれませんが、言葉を発さず、抵抗しない対象から搾取していくということを続けていると、いずれ搾取している側も孤独になってしまうのではないでしょうか。
私は野生の生き物が好きなので、生き物や自然と人間との関係性が今よりも良くなって、それが両者にとってプラスになる様なことに、少しでも貢献出来たらいいなと思っています。
「絶滅危惧種の生き物を知ってもらうことと自然保護活動への貢献」
Q2 どんな目標計画を立てていますか
平田 今は伝統的な織物を使って小物をつくる事業を行っています。その土地の風土に根差したものを大切にしていくことが、持続可能性という課題にもつながると思っています。
またその事業は、障がいのある人が適正な賃金でやりがいを持って出来る仕事を生み出すことも目的としています。
まず人間の社会が調和のとれたものになり、人間自身が幸せにならないと、自然や生き物にもなかなか目がいかないと思うので、出来ることをやろうという気持ちで行ってきました。
これからその事業で養ったノウハウを生かして、生き物や植物をモチーフにした商品も作ろうと思っています。例えば絶滅危惧種の生き物をテーマにすることで、より多くの人に知ってもらったり、収益を保護活動に生かしてもらえるような仕組みが出来ないかと考えています。
特に地方で自然や生き物の保護に取り組んでいる小規模な団体は、活動資金の不足のために継続した活動が難しいことも多いという話を聞きます。出来ればそういったところのお役に立てるといいなと思っています。来年には商品化して展示会などで発表する予定です。
記者 それがひいては保護団体にとっても、絶滅危惧種が少しでも減り、人間とのいい関係が持続可能になるという思いなんですね。他にも何かお考えのことがありますか?
平田 気候変動(地球温暖化)の問題に興味があり、その周知のためのプレゼンテーションを行う資格を取ったりしています。
人間による温室効果ガスの放出をこのまま放っておくと、近い将来に気温が4~6度上昇し、人間も含めた生き物にとって非常に厳しい環境になると言われています。その様な状況の中で、自然との関係性を大事にしてきた歴史を持つ日本人として何が出来るのか、問われている気がします。
「持続可能な活動」
Q3どんな基本活動をされ、活動指針を持っているのですか
平田 まずは自分自身が楽しむことを大事にして、今の会社をきちんと経営していくことを第一にしたいです。
また温暖化の問題に対して一人一人に何が出来るのか、少しでも学んで広められるような活動を行うつもりです。
記者 温暖化問題を解決することは平田さんの夢にも繋がりますが、なぜ、絶滅危惧種を無くしたいのですか?
平田 生き物も人間と同じで親子の愛情があると思います。例えば野鳥でも、親鳥が必死になって子供に餌を与え、育てる。それを何世代も何世代も重ねてきたことを人間が途切らせてしまって良いのかなと思います。
記者 平田さんにとって鳥であろうと人間であろうと愛情をつないでいくことへの差がないんですね!
平田 喜怒哀楽の表現の仕方は違っても、人間も生き物も同じじゃないかなとは思います。
記者 平田さんが楽しいことをやる中でその幸せな意識が鳥だとか環境だとかひいては周りの人が幸せになることがベースにあるのですね。
「カワセミとユヌスさんとの出会い」
Q4 夢に挑戦するようになったきっかけにはどんな発見や出会いがあったのですか?
記者 もともと鳥が好きとおっしゃっていたのですがテレビで見て知ったのですか?
平田 カワセミという鳥に出会ったことで野鳥や生き物に興味を持つようになりました。
私はもともと絵を描いたりデザインしたりすることが好きだったのですが、 高校卒業後は工学系の大学に、ただ何となく、就職に有利だという理由で進学しました。そんな甘い考えだったので、社会に出て初めてその厳しさを知り、30歳を過ぎた頃、やっと自分の人生の意味を考えるようになったというか、このままでいいのかなと思いだしました。
そんな中、一度転職をして鉄道車両の設計の仕事をしていたのですが、私にとっては心身共にハードな仕事で、体調を崩したんです。鬱々として休みの日は寝てばかりだったんですが、妻が外に連れ出してくれて、近くの小川の橋の欄干に座っていた時に、偶然カワセミという鳥を目にしました。
疲れていたせいもあると思うのですが、その姿にとても感動し、普段の生活で見える世界だけではなく、もっと広い世界があるということを感じました。挫折感もあったのですが、どうせ自分は小さな存在なんだから好きなことをしようとも思ったんです。
その後方向転換し、運良くデザインの仕事に就くことが出来ました。博多織の意匠図を描く仕事なのですが、そこでまた新たなきっかけに出会いました。ノーベル平和賞を受賞されたモハメド・ユヌスさんという方の肖像画を織る仕事の依頼を頂いたんです。
そこでユヌスさんの提唱する「ソーシャルビジネス」という考え方を知り、いつか自分でもやりたいと考えるようになりました。自分が好きなことをしながら、人や自然に役立つことが同時に出来たらいいなと思うようになったんです。
記者 もともと平田さんの中に役に立ちたいという思いはいつからお持ちだったんですか?
平田 カワセミがきっかけで野鳥や生き物に興味を持つ様になり。その多くが絶滅の危機にさらされていることを知ったのがきっかけです。
記者 そういうことを仕事にしていくことにご両親は何も言われなかったんですか?
平田 設計の会社を辞めた時には、落胆した父親から「これから苦労するぞ」と言われました。その時は挫折感もありましたから反論も出来ませんでしたが、今思えばあえて厳しいことを言ってくれたのだと思います。
ですが、私は運が良かったと思います。妻が一番の理解者として応援してくれたからです。本当に感謝しています。
記者 博多織のデザインの仕事からどうして障がいのある人の支援をしていこうと思われたんですか?
平田 博多織の意匠の仕事をしているときに、障がいのある方の絵を織物で作る企画があり、そこで福祉の世界を知るようになりました。独立して「数寄屋」という会社を立ち上げたときに、そのときの経験を活かせると思いました。
記者 どの様に会社を始められたのですか?
平田 お恥ずかしいのですが、普通は「これでいける!」という商品ありきで事業を始めると思うんですけど、私は事務所を借りるのが先で、ものづくりに関しては大した計画もなく始めたんですよね。
記者 普通、計画してから動くという形なのに、平田さんは先に行動してから考えるということがある意味才能ですよね!でもなぜその様にやり続けることが出来たんですか?
平田 お取引先など、周りの方に支えられたことが何より大きかったと思いますが、楽しかったから続けられたのかもしれません。自分で好きなように物を生み出すことが出来て、それによって喜んでくれる人がいたり、新しい出会いや関係性が生まれてくることに楽しみを感じています。
「役立ちたいことがあることに感謝している」
Q5 挑戦する発見の背景に何があったのですか?
平田 仕事を辞めたときに、社会に適応できなかったことに大きなショックを受けたことかもしれません。そこで何の為に生きるのかということを考える様になったと思います。
記者 絶滅危惧種にかける思いはそこから繋がるのですか?
平田 私には子供がいないせいかもしれませんが、自分以外のものの役に立ちたいと思うことが人生に意味を与えてくれるように感じています。 そのことに力を注ぎたいと思うことで普段の生活に虚しさの様なものが無くなった様な気がします。
記者 平田さんはどんな子供だったんですか?
平田 小さい頃はいい子だったと思います。高校くらいから少し問題が出てきて(笑)成績も超低空飛行で、親や先生に迷惑をかけました。父に対してコンプレックスがあったかもしれません。認めてもらいたいという思いは常に持っていたような気がします。
記者 どんなご両親だったのですか?
平田 父は大学教授で、東洋美術史という仏像の研究をしていました。
記者 仏像を研究する人というのは少ないですよね。
平田 父が他界したとき「好きなことをしていい人生だね」と皆から言われて亡くなりました。ただ若い時には分からなかったのですが、仏像や仏画は人の苦しさや優しさに通じる部分がある。そんな思いも根底にあって研究していたのではないかと思います。
母は周りから一目置かれる存在で、色々なところで奉仕活動などをしていました。前の仕事を辞めた時、内心はどうだったか分かりませんが、父とは反対に私が好きなことをやっていくことを喜んでくれていました。
記者 社会に適応出来なかったという大ショックがあり、何の為に生きているのかという問いから、絶滅危惧種の問題が平田さんのやるべき壮大なVisionに繋がったんですね。
平田 そんな大きなことではないですが、少しでも貢献することが出来れば嬉しいと思います。
記者 そうした謙虚な姿勢が素晴らしいですね!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平田 央さんの活動・お問い合わせについてはこちら
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
株式会社 数寄屋 HP:https://www.sukiya.style/profile
【編集後記】今回、インタビューを担当させていただいた吉田、草場です。
平田さんの優しい笑顔と人柄に引き付けられるお話をたくさん聞かせていただきました。これほどまでに絶滅危惧種の鳥のこと環境のことにご自身の好きなことを仕事に活かして活動されていることを知り、平田さんと商品を作る作り手の思いが込められた唯一無二のモノづくりから社会問題を解決したいという人々の意識が変化し世界が変わる、そんな関係性が繋がって広がるイメージを得ることが出来た貴重な時間でした!素敵なお話聞かせていただきありがとうございました。
この記事はリライズ・ニュースマガジンに”美しい時代を創る人たち”にも掲載されています。
https://note.mu/19960301m/m891c62a08b36
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?