コロナ禍でもゴンドラの相乗りを勧めたスタッフ、了承した他人同士、まもなく密室での会話が始まり…

タイトルが意味する事は、コロナに対して多くの人が寛容になってきたのでは?という事。
正直自分自身で「コロナ禍」と書いて、少し違和感を感じている程。

話しかけてきたのは大学生位のスキーヤーの男性。
2年ぶりにゴンドラに相乗りし、しかも他人と会話をするなんて、本当に久しぶりだった。

乗り場のスタッフの方も、それまで相乗りなど勧めなかったのだが、今回は効率良く運行させたい為か、一つ前のゴンドラでも同じ対応をされていた。

ゴンドラ乗り場ではポスターや映像で、マスクや手袋を着用し、並ぶ時は間隔を空けて、会話を避けて…などと知らせているが、それらに沿っていない人を見かけても、私は気付きはするが、気にはならない。

今やマスク着用は手段と目的が入れ替わっているし、検温に関しても、無人でしかもゲートも無い入場口で、決まり良く測定している人は目にしない。

場内放送でも盛んにコロナ禍での「お作法」が流れるが、有線放送や小鳥のさえずりと同程度で、聞き流してしまう。

何も普段から大声で話すとか、手を洗わないとか、無頓着になって良いとは思わないが、必要以上に恐れて生活するのはいかがなものかと思う。

ましてや屋外でのスポーツなら、現在屋内ではマナーとされてしまっている不織布マスクはせずに、自然の中ではその空気を存分に吸って、良い一日を過ごして欲しい。

今年の雰囲気だと、来シーズンも同様に対応を迫られると思うが、雰囲気だけでも和らいでいく事を願うばかり。

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