彼女たちのコズミック・イラ Phase08:芽生えた母性

コズミック・イラという世界かどういう場所なのか、それを示している回となります。単に原作に近い鬱度と地獄度を、過去話のオリジナル展開で再現しただけなんです。

次回は閑話、そして考察回となります。


C.E.58:コロニー・メンデル

ブルーコスモスの襲撃事件から3年が経過し、メンデル内部の施設は復興、復旧を完了していた。そしてまた、ブルーコスモスの活動自体も小康状態となっており、これを契機にプラントに退避をしていた研究者たちがメンデルへ帰参する動きも活発化するのであった。

そして、そうした社会の流れに乗る形で、プラントへと帰還していたクライン博士とギルもまた、メンデルへの帰参を果たすのであった。

3年ぶりの再会にも関わらず、研究室の中には緊張が走っていた。久々に再会したアウラとクライン博士は、互いを懐かしむこともなく、深刻さを隠そうともしないまま室内で対峙しているのであった。

「博士、これは一体どういうつもりかしら。」
「………」

険しい表情を浮かべたアウラは厳しい口調でクライン博士を問い詰める。それに対して博士はばつの悪い表情を浮かべ、目と顔を逸らして沈黙する。

「あなたが帰ってきてくれたことは本当に嬉しいわ。元気そうで何よりよ。でも、」

アウラは一切嘘をついていなかった。博士がメンデルへと帰ってくる報を受けた彼女は、まるで子供のように喜びを露わにしていた。しかし、それは実際にこうして博士が帰ってくるまでの話であった。

「どうして、ラクスが一緒じゃないのかしら。あなたが帰ってくるのだったら、当然あの子も一緒に戻ってくるものと私は思っていたのだけど。」

不信、疑念、あらゆる負の感情がアウラの言葉、そして表情から滲み出ていた。無論クライン博士はそうした彼女の思いを汲み取っており、言葉を発する寄りの先に深々と頭を下げるのであった。

「ごめんなさい、アウラ。あの子をプラントへと残してきたのは、他でもない私の判断よ。」
「そう……ラクスをここへは連れ戻したくなかった、ということね。」

アウラは博士に一切の弁明、弁解を要求しようとしなかった。彼女は決してそのようなものを求めているわけではなかった。だが、それでもクライン博士はアウラに対して、彼女が求めていない言葉を綴り始める。

「プラントであの子を……ラクスを育てていて、分かってしまったの。この子には運命を背負うことよりも、もっと大切なことあるんじゃないかって。」

クライン博士の言葉をアウラは遮ろうとしなかった。そしてまた、博士の言葉を聞いていないわけでもなかった。

「オルフェとは確かに最高の相性を持って生まれている。でも、それだけであの子の全てを決めてしまうのは、やっぱりおかしいと思うの。」

歯を食いしばって怒りを抑え込もうとするアウラ。そして彼女はまた、自らの判断に激しい後悔をしていた。博士にこうした思考と言葉を持たせる機会を与えたのは誰かと、眼前にいる彼女自身の言葉を聞きながら後悔に襲われていた。

「オルフェとラクスを一緒にすることは出来ない……それが、あなたの出した答えというわけね。」
「違うわ!私はただ、ラクスにはもっと多くの選択と未来があっていいと思うの!オルフェにだって……そうした未来と選択があっていいはずなのよ……!」

身体を焼き尽くされながら、自らの全てが否定されていくような感覚。声を荒げ、感情を露わにするクライン博士に対して、アウラはどこまでも自分を抑え込もうとしていた。

「アウラも知っているでしょうけど。プラントでは今、私の夫が最高評議会の委員に任命されたわ。そして、私たちの依頼主だったパトリック・ザラも同じ委員となった。」
「ええ……知っているわ。これで、私たちの研究はさらに順調に進むとも考えている。」
「そうっ、可能性が広がったのよ!私たちの支援者である彼らがプラントの実権を握ることが出来れば、オルフェにもラクスにもより多くの可能性が生まれるの!」

違っていた。何もかもが違っていた。アウラはそのようなものを求めてはいなかった。息子であるオルフェにも、博士の娘であるラクスにも、そしてクライン博士自身にも。

雄弁に可能性で満ちた世界を語る彼女に、アウラはさらに苛立ちを募らせていく。自らが不要としてものを彼女は持ち込もうとしていた。アウラの作る世界に。自らと彼女が作ろうとしていた世界に。

「いらない」
「……えっ?」

未来を語り尽くしたクライン博士に対して、アウラが放ったのはその一言だけであった。まるで幼子が玩具を取り上げられたかのように、今にも泣きだしそうな顔で、アウラその一言だけを博士に対して口にした。

「い、いらないって……アウラ、一体……何がいらないの?」
「全部……全部いらないわよ。あなたが言う未来なんて……何一つほしくなんてない……!」

悲痛な表情を浮かべたまま、怒りを露わにするアウラ。そして彼女はクライン博士が示した全てを唾棄しながら、たった一つの存在を要求する。

「ラクスを返して。あの子を……ラクスを返してちょうだい!」
「返すって……でも、あの子は私の……」
「違うわ!あの子は私たちの子よ!オルフェと一緒に未来を作る、私たちの……ラクスは、私たちが……!」

アウラの目元から流れる感情の結晶。全ては自らの過ちだったのだと彼女は悟る。クライン博士にラクスの出産を許可したこと、彼女にラクスを連れてプラントへと帰らせたこと。

アウラが自らで下した決断は、クライン博士の愛情、母性を育ませることに繋がっていた。その感情が自らの計画を狂わせる可能性を知りつつも、彼女は全て見て見ぬふりをしていたのであった。

「ねぇアウラ。どうしてオルフェの相手はラクスじゃないとダメなの?オルフェはきっと素晴らしい人に育つわ。あなたの才能を受け継いでいるのだから、私だってあの子には未来を切り開く力があると思っている。」
「そんなこと決まってるでしょ。オルフェとラクスは最高の相性で生まれた2人。コーディネイターの……人類の未来を担う2人なんだから。結ばれる運命なのよ。」
「だからっ、どうして!?どうしてラクスなの!?答えてアウラ!そうじゃないと、私だって……!」

別たれた道が再び交わることはなくなっていた。計画に発生した重大な問題を修正するため、アウラはとにかくクライン博士にラクスを引き渡すよう要求する。

「とにかく、ラクスを連れてきて。あの子がいないと、私たちの計画は先に進めないのだから。」
「私が傍にいるだけじゃダメなの!?私やギルが、あなたの傍にいるだけじゃ本当にダメなの!?」

博士の言葉に微かな冷静さを取り戻すアウラ。しかし、既にそれだけでは足りなかった。クライン博士に母性が芽生えた以上、不確定要素と化した彼女を留め置く術をアウラは持ち合わせていなかった。

「計画には……ラクスの存在が必要不可欠よ。あなたに……あの子の代わりは出来ない。私がオルフェの代わりとなれないように。あの子たちは、一つずつの命のなんだから。」
「そう思っているんだったらなおさら……!オルフェもラクスも運命から解き放てばいいじゃない!それでもあの子たちが結ばれる未来があるかもしれない!お願いアウラっ!少し考えれば分かるでしょ?あの子たちが“自由”になれば、きっと今の計画よりも素晴らしい未来が……」

『自由』

それはアウラにとって、最も忌むべき概念であった。その言葉の下で、どれほどの憎しみが生まれたか。

人を憎む自由、傷付ける自由、誹る自由、嘲る自由、世界に生きる誰しもが、自由の名の下に血を流し続けていた。そうした自由こそが、アウラ・マハ・ハイバルという一人の女が世界から、人の生きる社会から抹殺すべき最大の概念なのであった。

その忌むべき言葉を放ったクライン博士。アウラは無意識同然に彼女の傍へと歩み寄っていた。そして、自らの右手を大きく振り上げると、美しく鮮やかなピンク色の髪と、美貌に溢れ整った顔の頬に向かって渾身の力で振り下ろすのであった。

「―――っ!!!?」

凄まじい破裂音と共に、頬を平手で打ち抜かれたクライン博士の身体は床へと倒れ込む。たったの一撃で頬を赤くし腫らした彼女は、自らに平手打ちを食らわせたアウラの顔を睨み返す。

「私を殴って気が済むのなら、好きなだけ殴ればいいわ。でも私は、母親としてラクスのことだけは……!」
「自分を母親だと思うのなら、なおのこと一緒に帰ってくるべきだったのよ……!」

そう言いならアウラは、自身が着用するくたびれた白衣の内側に手を入れる。そして再び出したその手には、アルミ合金と合成樹脂で形作られた、人間を亡き者にすることが可能な道具が握られていた。

「っ……!?どうして、そんなものを……!?」
「あの事件の起きてからのメンデルが、どれほど不安定な場所だったかは知っているわよね。オルフェたちを……ここを守るために私は、こんなものを手にするしかなかったのよ。」

彼女が『こんなもの』と称する存在、拳銃と呼ばれるものの安全装置を外し、その銃口を倒れ込むクライン博士へと突き付ける。

「撃ったことがあるの?」
「あるわけないでしょ!でも、撃つ覚悟なら出来ているわ……!」

そう宣言しながら銃を握るアウラの手は激しく震えていた。引き金に指を添えることもなく、彼女はただ銃口を博士に向けているのであった。

「それは脅しのための道具なんかじゃない……!それに私は、脅されたりして自分の考えを変えたりしないわ……!」
「あなたの考え?違うわ。あなたを変えた人間たちの考えでしょ?以前のあなただったら、絶対にラクスと一緒に戻ってきてくれた。でも博士……あなたはプラントで、ラクスの母親として……変わってしまった……!」
「アウラのことを否定つもりはないわ!でも、シーゲルはわたしたちに、あの子たちにも素晴らしい未来を一緒に作ってくれるって!」
「シーゲル?ああ、ラクスの遺伝子上の父親ね。それがどうしたというの?支援者だったとしても、計画外にいる男の存在なんて一切考える価値もないわ!」

銃を突き付けながら放ったアウラの言葉に、クライン博士は悲しみを滲ませる。確かに博士は自分の考えが変わったと自覚していた。しかし、それと同時にアウラの考えも変容したのだと感じるのであった。

「もう一度お願いするわ。クライン博士、ラクスをメンデルに連れ帰ってきて。それだけが私の、唯一の望みよ。」

脅しではないことをと示すため、アウラは指を引き金に添える。だが、彼女が見せた最後通牒に対しても博士は抗うのであった。

「どうしてもオルフェとラクスを一緒にさせたいのなら、オルフェをプラントに行かせればいいのよ。あの子も運命から解放されて、その後でラクスと一緒になることが出来れば……」
「無理な話ね。そんな計画の破棄も同然な行為を、責任者の私が出来るわけがない。残念だわ、クライン博士。」
「………」

言葉では博士を突き放したアウラであったが、銃を握り締める手はより激しく震えていた。とりわけ引き金に添えた指はそこから離れようとしており、脅迫をしているはずの彼女は追い込まれているのであった。

そうした押し問答を繰り広げている最中、彼女たちではない第三者の足音が研究室に近付いていた。

「久しぶりアウラ、クライン博士が先に戻ってきて……」
「……っ!?」
「……っ!?」

久方ぶりの再会を喜びつつ、研究室内に足を踏み入れてきたのはギルであった。彼は彼女たちの状況を一切知らないまま、嬉しそうな声を上げて2人の前に姿を現すのであった。

「あ、アウラ……!?い、一体何を……!?」
「来ないでギルっ!」

クライン博士に銃を突き付けていたアウラは、突如として入ってきたギルに顔を向けて声を荒げる。それは、銃を構える人間を無力化するには絶好の隙であった。ギルに注意を引かれたアウラを視認したクライン博士は速やかに起き上がると、震えていた彼女の両手を掴むのであった。

「なぁっ!?くぅっ……離せっ、このっ……!」
「離すのはあなたよっ!こんな物騒なものを……ギルっ、危ないから下がっててっ!」

銃を捨てさせるためアウラに掴みかかった博士であったが、彼女は頑なに手放そうとはしなかった。そして、呆然とするギルの前で揉み合いなろうとしていた。

「だ、ダメだ2人とも!そんなものを持ったまま暴れるなんて!」
「子供の前でこんなものを出すなんて……!」
「そうさせたのはあなたでしょ!?あなたがラクスさえ連れて帰ってくれば、こんなことをする必要なんか……!」

身体が絡み合い、膠着状態に陥ろうとするアウラと博士。最早銃口がどこに向いているのかさえ、2人には確認出来ていなかった。その光景にギルは堪らず、彼女たちを引き放そうと揉み合いとなった2人のもとへと駆け寄ってくる。

「いい加減するんだ2人とも!いい大人がこんな子供みたいな喧嘩を……!」
「くぅぅぅぅ……!こんなこと……もうっ……あぁぁっ!」

次の瞬間、鈍い破裂音が研究室の中へと響き渡る。それと同時に硝煙の匂いが室内へと広がっていく。

「あ、アウ……ラ……」

両膝を床について、苦悶の表情を浮かべるクライン博士。彼女はそうして膝で身体を支えることも難しくなり、全身を床へと倒れ込ませる。そして彼女の身体からは、一発の銃弾で貫かれたことによる、夥しい量の鮮血が流れ始めるのであった。

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