串本の芦雪画 無量寺・応挙芦雪館
私は長沢芦雪(ろせつ)ファンです。串本へ来たからには、と無量寺へ行きました。このお寺に「応挙芦雪館」があるからです。
では、なぜ本州最南端の地に芦雪画が存在するのでしょうか。
ちょっと長くなりますが、辻惟雄氏の『寄贈の系譜』(ちくま学芸文庫)より、以下に引用します。
「若冲、蕭白につづき、京画壇に異能ぶりを発揮したのが、応挙門下の長沢蘆雪(ろせつ)である。(中略)
天明六年(1786)、南紀串本にある無量寺の僧愚海が、かねてから親しかった応挙を訪ねて、無量寺など、南紀にある東福寺系の寺に襖絵を揮毫するよう依頼した。ところが当時応挙には南紀へ出向くことができない事情があったので、蘆雪がその代役を勤めることになった。彼は、同年暮から、翌天明七年の春先にかけて、無量寺をはじめ西向(にしむかい)の成就寺、富田(とんだ)の草堂寺、田辺の高山寺をまわり、多くの襖絵や屏風を描いた。『虎図』(無量寺)をはじめ、南紀の蘆雪画として近来評価を高めているがこの折(三十三歳から、三十四歳にかけて)の作品である。」
(本著では「蘆雪」、無量寺では「芦雪」の文字を使用されている。)
というようなわけで、串本の町中の狭い道を進んで行くと…
あった!
なんとも紀南ぽくていい雰囲気です。(紀南ぽく、ってなにゃねん?!)
あらためて芦雪画を見て気付いたことがある。私の目がおかしいのだとは思うが。
たとえば、「虎図」。
むろん「ありゃ虎じゃなく猫でしょ」というのは野暮というものなので、おいといて。
なんといっても虎の顔に目が行くのですが、じいーと見つめていると、なんだか虎の前足と尻尾が虎ではない別のいきものように見えはじめました。
「龍」。そうです。龍の頭と尻尾のようです。襖の引手が龍の右目かな。爪は牙。龍の尻尾がこんなに細長いかどうかは知らないが、そんな龍にかぶさるように「虎」がのっかっているのです。
「遊んでるな、芦雪さん」と思いました。だから好きです、芦雪画。
私の妄想です。
中学ぐらいの時、「陸繋島」という言葉を聞いた(習った)ような。串本の潮岬(島)はまさにそれ。無量寺は、潮岬との間の、もとは砂州(陸繋砂州)の上に形成された串本の町のど真ん中にあった。
[おまけ]
山門の前の石像と彫刻。こちらも味わい深かった。おまけ、というと、失礼すぎますね。
いずれも立派に魅力的でした。野に置かれる芸術です。
2024.2.22