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墳活R5-5-17『束明神古墳(つかみょうじんこふん)』
草壁皇子(くさかべのみこ)の陵が二つあります。
一つは「岡宮天皇真弓丘陵(おかみやてんのうまゆみのおかのみささぎ)」です。ここは宮内庁の管理になっています。
もう一つは「束明神(つかみょうじん)古墳」です。こちらは陵ではなく、古墳です。なので、陵と呼べるのは一つしかないのですが、実は、草壁皇子の真の陵は、こちら「束明神古墳」でほぼ間違いないという話です。
今回の噴活は、その「岡宮天皇真弓丘陵」と「束明神古墳」を訪ねます。
[岡宮天皇真弓丘陵] 奈良県高市郡高取町森
「岡宮天皇」は草壁皇子の諡号だそうです。こちらは天皇陵として宮内庁が管理されていますので、しっかり石段、玉垣が整備されています。
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山の斜面にあって、正面には回れませんでした。
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西飛鳥の景色。見晴らしがよいですね。天皇陵にふさわしいかもしれません。
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[束明神古墳] 奈良県高市郡高取町佐田
岡宮天皇真弓丘陵から田園の道をおよそ500mぐらい歩いたでしょうか。
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まだ5月ですのに真夏日でした。おっさん日傘さしましたよ。
(去年の夏、しっかりした日傘を買った。←暑さにちょー弱い。)
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山間に抱かれた集落内の道に迷いつつ、その道のはずれまで来ると、神社の参道(階段)が見えました。束明神古墳はこの上です。
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階段を上りきりました。そして見えてきたのが…
これ墳丘? ち、ちいさいですね。
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ネットで調べましたところ、今見る墳丘は直径約10mほどですが、築造時は45mはあったとか(発掘調査結果)。これは天武天皇陵に次ぐ規模(終末期古墳)だといいます。しかも高貴な人だけに許される八角形墳でした。
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今は「遥拝所」の石柱が建てられてあるのみ。
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遙拝します。
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盗掘破壊、発掘調査。そして埋め戻されたこの古墳に、草壁皇子は、ほんとうに眠っているのでしょうか?
いや、もう「眠っていた」になるのでしょうか?
大規模な石槨があったらしいのですが、現場の雰囲気からははそんなふうには見えません。
ところが、ネット検索していましたら、どうもその石槨復元模型が橿原考古学研究所附属博物館に展示されている…ということがわかりました。それ知れば、行かざるをえませんね。予定外でしたが、車に戻って、博物館まで走りましたよ。
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あ、ありました。石槨…
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おお、大きい!
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いまさらですが、草壁皇子は天武天皇と皇后・持統天皇の子で、天武天皇崩御後、即位することなく27歳で薨去したということです。
あかねさす日は照らせどぬばたまの夜渡る月の隠らく惜しも 万葉集169
この歌は柿本人麻呂が詠んだ万葉歌。歌意を十分に理解する素養はないですが、「月の隠らく」に草壁皇子の姿を重ね、薨去を惜しむ歌に違いありません。
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こうして約5kmのぶらりウォークを歩いてみて、束明神古墳のある真弓丘から飛鳥中心部が驚くほど近いことが実感されました。しかし真弓丘は飛鳥の西のはずれなのです。この距離感は、皇子が眠るにふさわしい場所でしょう。
だから、月の隠れる夜に一人行けば、樹間に何かが見え、そのささやき声も聞こえるのだろうと思いました。
(←こわいから行きませんが。)
2023.5.17