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狭山池/日本最古のため池


[狭山池] sayama-ike


池の周囲はランニングやウォーキングのコースにもなっている


二つの小島は、水質浄化(空気を送り込む)施設


8月残暑。日照り続きで、水位は下がっている


龍神社?の前の穴ぼこは、「淵」の復元らしい。龍神さまの怒りを静めるため



[狭山池] 
位置    大阪府大阪狭山市
貯水量   280万m3
満水面積  36ha(ヘクタール)
周遊道路  2.85Km


ため池中心に公園としても利用されている


大阪狭山市にある「狭山池」は、日本最古のダム式ため池である。

今、狭山池の北堤の上から町を見晴るかすと、住宅がびっしりだ。
そういう場所に池はあるので、四周の堤は公園としても利用されていて、たいそうな人出があるという。

周囲の整備道が一周3kmで、ランニングに手頃なコースでもあるのだろう。

北の景観


管理施設附属のガレージかな? ガレージ利用の直売所を発見しました。

かき氷300円。つべて~氷、ほしいななあ。今日も暑っついからね。

流行ってる?


でも、本日の目的は、狭山池の北堤に隣り合う「狭山池博物館」です。グループ見学することになっていて、その約束の時間にぎりぎりなので、先を急ぎます。



「狭山池博物館」


博物館は、北堤の下にあるので、建物はそんなに高さを感じない。景観配慮でもあるのだろうか


見かけは、殺風景な倉庫みたい?


ところが、ゲートをくぐると、建物の屋根部分(ここがエントランスへのアプローチなのです)に池があるではありませぬか


水深は浅い。水の供給があるのか、水が溢れ出しています


溢れ出した水は下へ落ちてきます。落ちた水は下の池が受けています


こうして、博物館の入口に至ります。



[館内展示]


この博物館には、現物大の池の堤(旧い堤)が展示されています


狭山池の歴史

誕生(水田用水の確保)      616年ごろ
行基の改修            731年
天平宝字の改修          762年
鎌倉~室町時代の改修
慶長の改修            1608年
江戸時代の改修
明治・大正・昭和の改修
平成の大改修(治水ダム機能付加) 1986~2001年

このたびの平成の大改修では、旧い堤を断ち割って、強度を高め、さらに高くする工事が行われました(治水ダム機能付加)。

この工事に並行して行われた発掘調査により、初期の池の築造年代が明らかになりました。
616年ごろですから、聖徳太子の時代ですね。このころ大阪平野の大開発(新田開発)が進められたのでしょう。

今、我々が目にする狭山池は、規模は多少でっかいかもしれないが、普通のため池にしか見えません。でも、実はこんな歴史があるんですね。

改修のたびに高くなった堤防の断面の現物展示


旧い堤防を剥ぎ取って、それを博物館の館内に現物展示している。
これがため、博物館の建物は倉庫みたいにしたのかな。

しかし遠くからの外観は倉庫であっても、実は水が溢れる外壁や屋上、さらに館内造作はユニークで芸術的ですらある建築物です。ここもまた、安藤忠雄氏の設計です!


改修履歴の残る堤の断面


この写真にはないが、地震の痕跡も残る



取り出された取水設備(コウヤマキ?)



底樋(そこひ)


柱材?


迫力ある



木枠の土留工



石棺が転用されているという。石材は竜山石や花崗岩らしい



尺八樋。表面の温水を取水する設備(米作りの工夫)です



尺八樋とはよく名付けたもの!



[末永雅雄先生像]


エントランスに建つ末永雅雄先生像



末永先生は狭山池の畔に生まれた。橿原考古学研究所初代所長の考古学者(関西大学名誉教授)


池の技術者として、狭山池を知らないことには始まらない。そんな思いで、狭山池に来ました。


1400年前もこんな空だったのだろうか


さ、帰ろ。
かき氷まだ売ってるかな?


[おまけ]

平成の改修のときの発掘調査成果の現地説明会資料(ごくごく一部)

日本最古の人工ため池の「狭山池」(1994 朝日新聞)


日本書紀(崇神紀)、古事記(垂仁紀)に「狭山池」「狭山」「池溝」の文字あり。

(つぶやき=どうでもええけどきたねー字!)
現地説明会の様子
現説(現地説明会)のド迫力は、何をもってしても表現しがたい


改修された新しい狭山池は、今はすっかり周囲の景観になじみ、人々の憩いの空間(公園)となったようである。目の前のその景観に1400年の歴史空間を重ねて観ることは、かなり難しくなった。
ちょっと淋しくもある。


おしまい

2024.8.24
投稿2024.8.27