見出し画像

丹生大師、丹生神社 和歌山別街道を行く④


前回ブログは「水銀鉱採掘跡・丹生日ノ谷を再び訪ねて 和歌山別街道を行く③」(末尾再掲)でした。今回はそのシリーズの④です。


まだ続くんかい!とお思いでしょうが、あと2回(今回ブログと最終章)の予定です。ご勘弁を!笑


さて、今日は水銀と深いつながりのある「丹生大師」と「丹生神社」をご紹介したいと思います。



1 丹生大師


正式には「丹生山神宮寺(真言宗)」というそうです。別名が「丹生大師」さんです。


由緒記には、弘法大師さんが来山(814年)されて七堂伽藍を建てられたとあります。高野山開山が816年といいますから、それより前なんですね。


ただし、現在の寺観は江戸時代中期に整ったものとか。




歴史ある割には、この仁王門は新しい。実は4年前に大修復されたのでした。



瓦には歴史の色がにじんでいます。



ご本尊は、十一面観世音さんです。








2 丹生神社


丹生大師さんの奥に「丹生神社」が鎮座されております。神仏習合の霊気あります。

この神社には鉱山用具が神宝として残されているという。




鉱山用具がどんなものかはわかりませんが、水銀採掘に使われたものなんでしょうね。


「丹生(ニウ)」の「丹(ニ)」は、赤色土や水銀化合物の産出を意味する。「丹」は辰砂、丹砂、朱沙、丹朱ともいうようです。


ただし「丹生」は、水神信仰における「水生」の転訛・改字のケースもあるらしい。よって地名に「丹生」がついているから必ず水銀産地であるとはいえない。(「奈良の地名由来辞典」池田末則氏)


この地の「丹生」は、現実に水銀鉱山がありますから、「水神」「水生」の転訛ではありませんね。





丹生神社のさらに奥に、こんな案内板がありました。

「丹生一族は九州から瀬戸内紀伊半島から伊勢まで朱を追って移動した」と書かれています。


ロマン、と一言で片付けたくないですが、歴史のロマンに違いありません。






丹生水銀採掘の歴史とは?

その技術者集団とは?

和歌山藩との関係や地元の先駆者とは?

伊勢神宮とは関係ないのか?

等々


まだ知りたいことがいっぱいあります。ぼちぼちに…(笑)



3 姿見の池


 境内の「姿見の池」が綺麗でした。



池の水面に御大師様が映るとのことです。



これでは映りませんね(笑)





ここならちょっと映るかも。



水面に御大師様が少しでも見えれば、その方は救われます。


私には見えませんでした。いや見えていたのかもしれませんが、私の業が気付かせてくれなかったのでしょう。救われませんね。クスンクスン…



次回は「深野だんだん田 和歌山別街道を行く⑤」をお届けする予定。最終章です。



取材日 2023.6.10


 前回ブログです↓

おしまい