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立梅用水 和歌山別街道を行く②

前回投稿は「あじさいと農村料理 和歌山別街道を行く①」でした。
今回投稿は「立梅用水(たちばいようすい) 和歌山別街道を行く②」になります。

まず立梅用水についてです。下の地図は上が北、左が西、右は東です。

地図左端の櫛田川に作られた井堰から取り込んだ水を運ぶ役目を担うのが水路(赤線)となります。
この水路は、飯南町粥見(かゆみ)地区から多気町丹生(にう)地区まで全長28kmあるそうです。かんがい用水ですね。ルートはぐねぐね曲がって複雑です。

今年で通水200年になる歴史的遺産でもあります。

左「取水口」とあるのが飯南町粥見地区の立梅用水井堰。
右へ伸びる赤線が水路で最末端(右端)が多気町丹生地区になります。

あじさいまつりは、地図右端の丹生地区でおこなわれます。(農村料理、メダカ池のあるところ)

上の案内板には記載ないですが、立梅用水は、「国の登録記念物」「世界かんがい施設遺産」に登録されています。


以下ご紹介する写真は、丹生地区(メダカ池周辺)の水路風景です。

江戸時代の水路は幾たびかの改修工事を経つつ今も現役です。


なにやら仮設の小屋が見えます。

ここが明日(6月11日)の「あじさいまつり」のイベントとしておこなわれるボート下りの起点でしょう。


水路の幅に合わせてボートはちっちゃいです。

今日はむろんボート下りはやってません。


立梅用水路の特長は、勾配が緩やかなことらしい。勾配とルート(一部除く)は昔のままという。

当時の測量技術がいかに先駆的•高度だったかがわかります。


なかなか見事なカーブです。こうして水路はいよいよ山の中に入っていきます。


トンネル突入。


山の反対側のトンネル出口に来ました。山道を歩き峠を越えましたよ。

実はこのトンネル、出入り口だけコンクリートで補強されてますが、あとは全て素掘りのままなんです。


そしてですね、この素掘りトンネルは、この山一帯で採掘されてきた水銀鉱(辰砂)と大いに関係がありそうなのです。トンネル掘削の技術としては同じですから。←これは私の推測です。おいおいに検証してまいります。


実は、丹生の水銀は、古来より日本一の産出を誇っていました。(昭和48年閉山まで)

奈良時代に造営された東大寺大仏の鍍金(メッキ)に水銀2トンが使われ、その大部分がこの地・丹生産のものだとか。

ところで、水銀ってなんだろう? 辰砂ってなんだろう?

うーむ。俄然面白くなってき…えっ? 私だけですか(笑)


[オマケ]
奈良へ帰る道の途中にある、立梅用水井堰(飯南町粥見地区)も見てきました。ここから多気町丹生地区まで、櫛田川清流が水路によって運ばれています。

井堰の規模はそう大きくありませんが、すっきりキリリな姿だと思いました。




次回は、立梅用水を離れて、丹生水銀鉱の坑道跡をご紹介しようと思います。

※タイトルの「和歌山別街道」の呼称については「みえの歴史街道(三重県環境生活部文化振興課)HP」より引用しました。
『和歌山別街道は紀州藩の本城と田丸城を結び、途中で熊野街道や伊勢本街道と合流し、伊勢参宮の道として多くの旅人に利用されました。この街道を松阪市飯南町粥見から玉城町田丸に至る道と考えると和歌山別街道と呼ぶことができますが、高見峠をこえて伊勢に向かう参宮ルートと捉えるならば、伊勢南街道と呼ぶことができます。』

2023.6.10

続く