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松阪散策③(終章)「幻のハマボウ」

1年前の夏、実は伊勢湾を望む松阪の海岸(松名瀬海岸)で、ハマボウを見たのでした。花のない季節、しかもまばらに草が生えているだけの広い砂浜に、このハマボウの花叢はとても目立っておりました。そこにあった解説板には「松名瀬ハマボウの里 このハマボウは西黒部小学校の生徒の皆様が植樹したものです」と書いてありました。

去年8月の写真です↓

ハマボウは、西日本から奄美大島の海岸に、黄色い花を咲かせる塩生植物。きっと雨風にも強いのでしょう。

内陸に育ち、内陸で生活していますと、このハナボウの花が、とても印象深く瞼に残りました。

去年8月の写真です↓

今年また、ハナボウを見たいと思いました。松阪のマップを再確認しますと、1年前の場所とは違うところに「ハナボウ群生地」があるようなのです。「五主(ごぬし)海岸」と記されています。こちらは植樹ではなくて自生のもののようです。しかも群生!

というわけで、松阪市街地から五主海岸を目指して車を走らせました。ところが、結論から言いますと、ハマボウ群生地が見つかりませんでした。あるのでしょうが、探しきれなかったのです。

それでどうしたかと言いますと、迷ったその場所から目と鼻の先の雲出(くもで)川の河口あたりまで行くことにしました。河口の景色は変化に富み、魅力がありますし、水鳥もいるかもしれません。(←野鳥観察趣味のオトコです。)

どこまでも続いている(ように見える)海岸堤防道路。

渚に漂着物(枝葉、流木)が多いのは、台風7号(8月14日から15日)の影響だと思います。

こうして河口あたりの堤防道路を走っておりましたら、雲出川に架かる橋を渡ってしまいました。そこはもう松坂ではありません。津市の香良洲町(からすちょう)というところです。

香良洲町は、津市に合併(2006年)されるまでは独立自治体だったようです。マップでは、町域は典型的な三角州(島)。伊勢湾に面して海水浴場をもつ香良州海岸がありますから、ここならハマボウが見れるかも知れません。

香良洲海岸は、当然、コンクリート堤防の向こう側です。その堤内地から海岸に出れそうな道を探していて、偶然に「香良洲町歴史資料館(若桜会館)」の看板を見かけました。

香良洲町のことは全く無知でした。で、少しは土地の歴史も知りたいので、まずは歴史資料館を訪ねることにしました。 

最初にお断りしておきますと、歴史資料館の写真としては、ここに貼った2枚以外は撮っておりません。一部展示を除き撮影可とのことでしたが、ショッキングな展示内容でしたのでそういう気持ちになれませんでした。

歴史資料館は三階建ての立派な建物でした。無料で入館しますと、まず香良洲町全域の航空写真地図↑が展示されていました。左右の河川が雲出川。枠外になりますが、手前が伊勢湾です。

そして、この歴史資料館がなぜ「若桜会館」という名称を併せ持つか。その理由がわかりました。

昔、この地に滑走路を持つ三重海軍航空隊があったというのです。ちなみに、この軍用地の面積は、香良洲町3.9km2に対し、その三分の一 1.3km2を占めていたとか。なんと広大な面積であったことか。それが写真の点線(白)の範囲ですね。

三重海軍航空隊は海軍飛行予科練習生(予科練)でしたから、東海地方中心に青少年3万8千人が入隊し、最盛期には1万5千人が航空機搭乗員として基礎訓練を受けたそうです。若桜とは彼らのことでしょう。

歴史資料館展示室には、黙して語る戦争当時の写真や資料、遺留品がありました。一昨日の終戦記念日に黙祷することを忘れた私です。厳粛な気持ちになりました。

戦後、残務整理を終えた三重海軍航空隊は解隊となり、その施設は学校舎などに再利用されたということです。

無知のまま、今の町の風景だけを見ていると、このような歴史は想像できないことでした。

今日の私は、ハマボウの花を見ることができませんでした。かわりにほかの、もっと大事なものを見ることができたように思います。

※「松坂散策③」と題しましたが、本記事の後半舞台は津市香良洲町になります。

2023.8.21
旅した日:8月17日

おしまい