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早高叶『水にまつわる奇譚集』を読む

早高叶さんの新作『水にまつわる奇譚集』(2023年7月22日発行)の読書感想文を書きました。

1 『夏の水魔』  10枚ぐらい(400字詰原稿用紙換算=以下同じ)

2 『水葬都市』  10枚ぐらい

3 『青い小さな魚たち』  12枚ぐらい

4 『すいれんさん』  40枚ぐらい

5 『紫陽花の道』  10枚ぐらい

 早高叶プロフィール
(X 旧Twitterより)
9/10文フリ大阪D-47/怪奇幻想小説と怪談が好き/文芸同人誌『カム』所属/個人誌は最新刊『水にまつわる奇譚集』販売中400円+送料180円/noteで短い小説や読書記録を書いてます/猫3匹のお世話係 note.com/kyohayataka

(noteより)
怪奇幻想小説を書いています。怖い話・奇妙な話・読むのも書くのも大好き。第二回尾道てのひら怪談優秀賞。新紀元社『幻想と怪奇』4、7、10に書評掲載。小説同人誌、販売中! https://kyohayataka.booth.pm

以下、高坂の感想文です。読み手の経験や価値観によりいろいろな読み方ができると思います。もし皆が同じような評価であれば、それこそ奇譚(笑)

  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

「水にまつわる奇譚集」  作・早高叶(はやたかきょう)

1 『夏の水魔』  10枚ぐらい
[あらすじ]
 お盆過ぎ。1DKのベランダから見える空は晴れている。主人公・なっちゃんの、そんな日常描写から物語は始まる。床の水拭き、台所の汚れ落とし。そして暫時休憩。疲れて床にごろんと横になる。すると、どこかで水のにおいがする。水、といえば5歳の頃…
 …家族で遊ぶキャンプ場の景。なっちゃんは川で泳ぐ兄ちゃんに声かけしようと立ちあがったとき、その勢いで川に落ちてしまう。水が迫り、溺れる。そのときどこかで、「こっちへおいで」と呼ばれたような。幻覚? 今思い返すと、あのときは「気持ちよかったなあ」と。
 さて、場面は1DKに戻る。急にスマートフォンが振動する。メッセージが届いたようである。幼なじみのゆうちゃんかな。「今ね、睡魔に襲われてて」と返信入力すると、文字が「水魔」になっている。そのまま送信した。途端にスマートフォンの画面から水があふれ出す。驚く間もなく、1DKの部屋中が水で満たされてしまう。これはあのときの川の水…?
[感想]
 キャンプ場で遊んでいて、川に溺れ、水の中で、水魔に「こっちへおいで」と呼びかけられた記憶。あれから二十年以上が経つ。今、主人公・なっちゃんは、夢か現かわからないが、1DKに充満する水の中に漂いながら、こんどは逆に、水魔に対し「こっちへおいで」と呼びかけるのだ。現実の歳月が、なっちゃんをして、こんなに強く自立させたのだろうか。
 どこかで観た映画の一シーンを想起させますが(既視感)、そう思うだろうなという読者の心理も解った上で、達者な文章力で、楽しく書かれた小品。水のにおいぷんぷん(笑)。

2 『水葬都市』  10枚ぐらい
[あらすじ]
 花柄のワンピース姿の私は、水葬を希望し、海にたどり着く。が、受付係に「一応、再考を促す規程」があるからと見聞を促され、折良く執行待ちしていた水葬者とともに小舟で海へ出る。水葬者は三十代半ばの女性。彼女はその希望理由を「魂の病気だから」とだけ言って、笑顔を見せつつ海に身を投げる。私は、その海を、長い時間、見つめている。
[感想]
 私事ですが、実は、治らない病気発覚したときに、水葬について、考えたことがあります。5年ほど前のことです。死んだら水葬がいいなと。(今も死なずに生きていますが。)
私は、瀬戸内海(播磨灘)が見える田舎町に次男として生まれ、成人してからは郷里に帰っていません。後年、上記のとおり死期を意識するようになって、水葬希望、それも播磨灘で、と考えました。海の藻屑に混じり、瀬戸内海を回遊しているうちに、いつか宇宙と一体になれるかも、などと。
 作中の「私」がラストで見つめる海の底には、一転して宇宙と繋がるトンネルがあるのではないか。その入口を探し続けることが、リアルを生きるという意味ではないか。そんなことを思いました。

3 『青い小さな魚たち』  12枚ぐらい
[あらすじ]
女子会で旅行から帰ってきた女性の日常描写。でも読者には何やら不穏な空気が感じられます。そういう書き方になっています。
 女性はペットボトルの水を飲む。ボトルの底に小さな青い魚が一匹。それも飲み干すと、宅配人(メッセンジャー)が訪ねてきて、「青い魚を飲むと、ものすごく良いことか、悪いことが起きますよ」と言う。実は、寝室に、包丁で一突きした浮気夫と女の死体が転がっているのだった……
[感想]
 コワいお話は、日常の中にこそ。いかにもコワい状況・空間(例えばユーレイ屋敷とか)に登場するコワいもの・人は、実はそんなにコワくない。そういう意味で、前2作もそうなのだが、早高さんのコワいお話は秀品だと思う。この『青い小さな魚たち』にあっても、ペットボトルの水、宅配人訪問時の応答などごく普通の日常を描きながら、突然に夫と女の死体が出てくる。そして、それが「ものすごく良いこと」かもしれないなどと思う。この主人公の心理が、コワくなくてなんであろうか。返り血のイメージと、青い水、無数の青い小さな魚。それでいて、晴れ晴れとした気持ち。ほとんど理解不能だが、読んでいて、なんだかスカッとするのは不思議だ。「いいかげんにしてください、こっちは忙しいんですよ」に笑う。

4 『すいれんさん』  40枚ぐらい
[あらすじ]
語り手は、病床の母。母の母の母、すなわちひいおばあちゃんの家に、まだ三つだった「私」を見せに行った時の母のお話である。その家は、どこか山奥のようである。(まったく読者の勝手な思いだが、福井県と滋賀県の県境あたりの山峡がイメージされる。)
おばあちゃんは長女である。弟は4人いるが都会に出ており、おばあちゃんが一人、古い家を守っている。その家に、母は「私」を連れて行き、そこでおばあちゃんから本題の話を聞かされる。つまり、母の話の中に、母の母=おばあちゃんの話が挿入され、その話の中にひいおばあちゃんが登場する仕掛け。完全な入れ子状態である。なので、話の筋がちょっとわかりにくいが、「昔昔、山深いところに住むおばあさんの不思議な話」程度に理解し、楽しく読み進めればよいのかなと思う。
さて、お話の核心は、家の裏の沼に咲くひつじぐさの妖精?霊(すいれんさんと呼ぶ)が、赤ちゃんをほしがるのである。なぜなのか? そこは描かれていない。いないが、きっとさみしいさみしいストーリーがあるのであろう。
 ひいおばあちゃんは、禁を破り、赤子の弟を連れて裏の沼に行く。そこへ現れるのが、観音さんのようなすいれんさんである。
「その子うちにくれるん?」
ひいおばあちゃんは一目散に逃げ帰るも、赤子の弟は七日後に死ぬ。すいれんさんに盗まれた? ごめんな。
 そして裏の沼は、村人に手によって埋め立てられる。……
母の語りを聴く「私」には子がいない。なぜなのか? ひいおばあちゃんに遡るストーリーのなかに、すいれんさんの思いを重ねて、何か答えがあるのだろうか? ラストの一行「静かに、静かに」に、静かだが熱く胸迫るものがある。
[感想]
一読し、笑った。特にラストの数行の熱い筆に。しかしこれは笑うところではない。しんみりするお話である。
 読者の私事であるが、子に男二人持ちながら、孫を望むことを半ば諦めていた。私の家の血脈は、私の子で、絶えるだろう。それが今年、男の孫が生まれた。今、はいはいするようになって、ほんとうに可愛い。世の中には、このような気持ちになれない人もいる。すいれんさんは「授かったからには子を大事に育ててね」と教えているのだと思う。授からなかったならば、授かるはずだった子を、すいれんさんが育てている。そのことを信じよう。

5 『紫陽花の道』  10枚ぐらい
[あらすじ]
 マンション外構に植栽された紫陽花が続く道。主人公が普段使う通勤路ではなかったが、前から気になっていたので、とある夜、その道に入る。すると、紫陽花を剪る女に遭遇。と、ところが、女が手に持っていたものは紫陽花ではなく、白い顔をした生首だった……
[感想]
紫陽花の道は、遠くから眺める分には、とても清楚で綺麗なのですが、いったんそこに入り込むと、繁茂する葉のせいもあって薄暗く、湿度が高い感じがして、どこかコワい。そこのコワさと、清楚な花が剪られゆく(盗む)かなしみを、ちょっと批判的に描いた作品だと思います。ラストの道端に捨てられた、黒く重たげな、一丁の花剪り鋏は、花ドロボーの共犯者として何を語るのか。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

『水にまつわる奇譚集』はネットで買いました。そしたら、手作り私家版『小さな怪異の物語』をおまけで同包していただきました。複写機によるホッチキス版ですね。発行は2023年1月15日です。

1  『小箱』 20枚ぐらい
2  『小道』 30枚ぐらい
3  『小声』 25枚ぐらい

本の題名である「小」の字が、3作品に共通して使われています。発想が逆かも。
「小」の意味は、この怪異譚が日常に取材した創作であることや、実在する人の体験談であることを考慮し、このような「小さな」手作り本(非売)とされ、限定的に贈呈されていることとも関係あるのでしょう。

それだけに、作者の書きたいことが詰め込まれているようです。ともに小さな怪異に違いありません。が、日常にありそなお話で、じわじわとリアリティ感じ(怪奇小説に対しての感想としては矛盾あり笑)読み応えあります。

このような創作活動(私家版)に光が当たってほしいとも考える一方、そうならないほうが良いのかもしれない。わからない。

高坂正澄

2023.9.27