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紀伊田辺散歩2「天神崎の巨人」

[田辺市(紀伊田辺)]
5つのまちが合併してできた近畿最大の面積を誇る田辺市には、世界遺産の熊野古道や温泉など地域ごとに趣の違う魅力的なスポットがたくさん。
田辺観光協会のある旧田辺市は熊野古道中辺路と大辺路の分岐にあたり、古くから交通の要衝として発展。歴史や文化だけでなく、豊かな自然やグルメなどの魅力もたっぷりです。(田辺観光協会HPより)

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[海岸美編]

八月七日は立秋。

え、ええ~
もう、秋?

こんなに暑いのに。


そこで二年前の今頃行った天神崎の海岸を思い出し、涼を呼び込むことにしました。



田辺湾(和歌山県田辺市)に突き出た天神崎。子島として、丸山と元島がある。丸山には灯台がある。元島は岩礁エリアのはずれにあり、堤防道路で繋がっている(マップの左隅の枠外)


[天神崎]
ナショナル・トラスト運動の先駆けとして一躍その名を知られるようになった「天神崎」。
田辺湾の北側に突き出た岬で、日和山を中心とする緑豊かな丘陵部と干潮時に顔を出す平らな岩礁で形成されています。
ここでは、陸の動植物と海の動植物が、平たい岩礁をはさんで同居し、森・磯・海の三者が一体となって一つの生態系を作っており、市街地に近接しているにも関わらず、豊かな自然が残されているのが特徴です。
(田辺観光協会HPより)



野口雨情の歌碑(吉野熊野国立公園 天神崎)


天神崎の岩礁に降りる口に、明治の詩人 野口雨情の歌碑がありました。

  落ちる夕日は天神崎の遠く海原夕焼ける   野口雨情

雨情は、和歌山をこよなく愛した人らしいですね。

たしかに雨情の歌碑は、さっとですがネットで見ますと、田辺市以南の各地(7カ所)に建立されていました。
茨城県生まれの雨情が、なぜ和歌山をこよなく愛したのか。今はそこを語る知識がありません。
ただ詩人であるならば紀伊半島の変化に富む自然に詩情をかき立てられないはずがないだろうとは想像できます。

では、さっそく天神崎の岩礁エリアを歩いてみましょう。









丸山


丸山灯台





さて、ここからが本題ですよ。

岩礁エリアの北のはずれまで来ました。前方に元島が見えます。元島とはコンクリートの堤防道路で繋がっています。

元島には、さほど見るものがなさそうでしたが、ここまで来たからには探検してみましょう。


正面が元島。神社があるぐらい?


元島に到達。森の中の神社にちょこっと参拝し、また海岸に戻りました。

島を一周しようと思いましたが、道がないので磯伝いに裏に廻ります。どこまで行けるかわかりません。



なんとか元島の裏まで来ました。

おや? あれは? 

元島の陰に、さらに小さな島、というか大きな岩が。もっと近づいてみましょうか。



なんだ?なんだ?

今は干潮なのでしょう。岩礁伝いにあすこまで歩いて行けそうです。



近づきました。

ええっ
ほんまかい?



モヒカン刈りの巨人ではないですか!


さらに近づくと、ちょっと寝ぼけ顔になる。


モヒカンの岩の裏へ回る、、、と、こんなん(海側から)


このモヒカンの巨人は、元島の陰にあって、マップに記載もなく、たぶん人はほとんど来ないのでしょう。

それだけに、こんな面白いもん見れて、得した気分になりました。

あ、結局、元島は周一周できずに引き返しました。磯が狭まり、歩きにくくなってきたからです。あまり危険なことはできません。

というわけで、さ、もう十分。得した気分になって、戻りませう。


人の手で置かれたのか、そうでないのか。じっと見ていると、こっちが見られているような錯覚も



[天神崎の地質について]

こうした天神崎の不思議な岩礁は、海底に堆積した砂岩、泥岩、あるいはその互層から成っています。(「地質Navi」より)
フィリピン海プレートがユーラシアプレートに潜り込む時に連れてきた付加体です。

一部に礫(れき)や小石が混じる砂岩または泥岩が見られますが、成因が少し違う(地上における侵食堆積と地震?)かもしれません。詳しくはわかりません。

海岸の岩礁は、おおむね砂岩と泥岩の互層です。これは層状にはがれやすい特徴があります。結果、平たい岩礁を作ります。
泥岩層には穴を穿つ貝(二枚貝)などが棲息し、礫を含む岩は、その複雑な表面と水分が保持されやすい性質をもって、付着生物には好適環境のようです。(大垣俊一氏論文より)
そのほか、天神崎のいろいろな自然条件が、冒頭に記したように、磯や海の動植物の多様な生態系を作っているのでしょう。


なぜか世界の国旗が


今回は,、天神崎の自然を深く観察をするまでには至りませんでした。まずは自然観察、地質の基礎を学ぶ必要があります。それはこれからです。

でも、今回、モヒカンの巨人に出会えたことが、最大級のポイントです。忘れられません。

そのうちまた行けるだろうと楽観した状態のまま、いつのまにか二年が経ってしまいました。

二年経っても、なお涼しくも熱い思い出です。


つづく


※本記事は、終了した某blogの過去記事のインポートがうまくいってない事実が判明(改稿できない)したことから、今回書き直しました。写真だけは二年前のものです。2024.8.8