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天皇皇后両陛下のパレードを見て思う。「なにもなかった」という偉業。

清々しい秋空の下、天皇皇后両陛下のパレード(祝賀御列の儀)が無事に終わりました。

とりあえず、まずこれだけ。


なにもなくてよかった。


ぼくたちは沿道に微笑み手を降る天皇皇后両陛下をただ幸せな気持ちで眺めていればいいですが、警視庁を中心に全国から集められた警察関係者の方々はなにもなくパレードを終えるために、とてつもない準備をし、最後の1秒まで全神経を張り詰めて警備にあたっています。

オープンカーでのパレードは、どうしても過去に起こったアメリカでの悲惨な事件が思い出されるので、一層気を引き締めていたことだと思われます。

本当に、本当にご苦労さまでした。

警察の方々がつくりあげた「なにもなかった」はとんでもない偉業です。


日々のニュースで大きく取り上げられるのはいつだって幸か不幸か、どちらかに大きく針が振れたとき。そのどちらでもない「なんでもないこと」は、まるで無かったかのように流れていきます。

ぼくは特別支援学校で、重い知的障害のある子どもたちと毎日学校生活を送っていました。
障害の重い子の中には「自傷」といって、自らの身体を痛めつけてしまう子もいれば、他の子に殴打をするなど「他害」をしてしまう子もいます。物を投げたり、なにかを壊したりすることもあります。
もちろんそうならないように、われわれ教員はできる限りの配慮や支援を行っていますが、防ぎきれない場面もいくらでもあります。

なにか大きなことになれば、保護者に電話で状況を伝え、ときには謝罪します。

とはいえ、なにもない日がほとんどです。
そんな日を過ごせたときは、連絡帳に

「今日は1日落ち着いて過ごせました。問題行動や、困ったことはなにもなかったです。」

と記します。

特にいいことも、悪いこともなかった。「なにもなかった」と呼ばれる1日。
そんな1日を過ごせたことを、いつもうれしく思っていました。
無事に終業式や卒業式をむかえた日には「この1年、なにもなくてほんとによかった」と胸を撫で下ろしました。

ぼくたちの日常だってそうですよね。

昨日をコピペしたような今日を、また明日にコピペする。

大きな成功もなければ、失敗もない。
プロポーズをされたわけでもなければ、失恋したわけでもない。
転職をしたわけでもなければ、退職したわけでもない。
誕生日でもなければ、なにかの記念日でもない。

そんな「なんでもない日」がほとんどです。
なにかあった日は「特別な日」なんだから、言われなくてもよろこんだり悲しんだりすればいい。

ただ、「なんでもない日」や「なにもなかった」は偉業なんです。

今日の警備じゃないけど、見えるところと見えないところで、いろんな偶然や努力が重なって「なにもなかった」1日にすることができた。
「今日もなんもなかったなぁ」なんてアホ面で生きてることをもっとちゃんと喜んだほうがいい。

そうしたら、ほとんど毎日「ちょっといい日」になるからね。
なにもなかった人生は、それだけでドラマだ。

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