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二次元オタクの自分にVTuberは合わなかった話

私は幼い頃からアニメ、漫画、ゲームが大好きだ。絵も趣味の範囲で嗜んでいる。

私には『推しキャラクター』も居る。さまざまな作品に。生きるのが辛くなった時に心の支えになってくれた推し。自分の好みにぴったりな推し。新たな扉を開けさせてくれた推し……『推し』という概念については、アイドル系の作品が分かりやすいかもしれない。私はアイマスシリーズを始め、あんスタ、うたプリ、その他色々なアイドル系作品にハマってきた。さまざまな作品の『推し』を応援したり、二次創作をしたりするのが私の至福の一時となっていた。私は二次元キャラクターを『偶像』として愛していたのだ。

そんな私だが、常日ごろから距離を置いているものがある。それは『VTuber』だ。彼らはバーチャルユーチューバーとしてYouTubeでライブ配信を主とした活動をしている。TwitterやPixivでVTuberの二次創作イラストが視界に入る度に、多少の興味は抱いていたが、どうあがいてもVTuber自身にハマることはできなかった。

YouTubeのオススメに表示されたVTuberの切り抜き動画をきっかけに、とあるVTuberにハマりかけた事があった。だがやはり本格的にハマる事はできなかった。そもそもVTuberは私の思い描く『偶像』と全く違う存在だったのだ。

VTuberは、どうしても中の人が見え隠れするのが苦手だ。企業のVTuberなどは一応キャラ設定的なものがあるが、当のVTuber達はそんな設定など律儀に守っている素振りは一切なく、完全に"三次元の人間"がVTuberという"二次元の綺麗なガワ"を被って配信しているようにしか見えないのである。そしてよく炎上する。そりゃ中身は普通に人間なんだからちょっとした言動で炎上くらいするよなと思うが。

対して二次元キャラクターは、中身なんて居ない(声優は声を当てているだけであって、厳密には中身ではない)のでキャラクター自身が何かやらかして炎上なんてする心配もなければ、中の人が見え隠れすることもない。安心と安全の偶像なのだ。中身が居ないというよりは、二次元キャラクターの中身=二次元キャラクターという認識がある。1人の存在として確かにそこに在る。中の人なんて居ないから、自分が思い描くことをなんでもしてくれる。自分の期待に応えてくれる。期待通りの対応をさせることができる。

それに比べてVTuberは、ファン1人の声だけでは期待通りの対応をしてくれることは殆ど無く、キャラ崩壊なんて当たり前。なんならキャラ崩壊して人気が出ているVTuberさえ居る。VTuberの中身=三次元の人間という認識がある。三次元の人間はいつどこで何をしでかすか分からない。自分の思い通りにならないVTuberは自分の思い描く偶像と全く違うのだ。

二次元キャラクターには、次元が違うという安心感もある。次元が違うおかげで『自分と同じ時を生きている』と思わなくて済む。三次元の人間には『今こうして同じ時間軸に生きていて、息をしているんだ』と思ってしまい、気持ち悪く感じてしまう。三次元の人間には『生』を感じてしまうのだ。VTuberは、例えどれだけガワが綺麗な二次元キャラクターだとしても、中身はれっきとした三次元の人間なのである。

VTuberの存在自体を否定している訳ではない。もちろん、VTuberファンが嫌いな訳でもない。むしろ尊敬している。二次元キャラクターを推す感覚と同じようにVTuberを推しているオタクの皆様には本当に尊敬の念しかない。私には1時間超えは当たり前なアーカイブの大群なんて見る気力も湧かないし追っかけようとさえ思えない。それをほぼ毎日追っかけ、投げ銭までしているVTuberファンの方々は本当に凄いと思う。

恐らくVTuberファンは、三次元アイドルのファンと似たような感じなのだろう。このスタンスが合わない私はこの先三次元アイドルや声優、舞台俳優等にハマることは到底ないと思う。

私の意見は客観的に見れば自意識過剰で自己中心的だろう。自分自身もよく分かっている。ただ、私と同じような理由でVTuberが苦手な人も居るかも知れないと思い、この独り言を綴ってみた。この独り言が同じ思いを持っている人の目に入ってくれることを祈る。

これはただ、『完全なる偶像』を愛する自分にVTuberは合わなかっただけの話なのである。