「技術的解決法」と「道徳的解決法」との二つの軸の掛け合わせで問題を解決する

大学の時に勉強していたり本を読んでいたりしていた中で、タイトルのことを思うようになった。
何かきっかけのようなものがあったかどうかは記憶にないけど、気付いたらそうなってた。
この考え方は問題の解決策が見つかりやすくなるだけではなく、そもそもの問題の本質を捉えることにも役に立っている。
そして誰かと問題を共有するときに、その人が「技術的解決法」と「道徳的解決法」のどちらに寄っているかによって、提案内容やそもそものコミュニケーションを変えることができる。

まずは「技術的解決法」について。
これはある問題を「テクノロジー」とか「システム」で解決しようとする方法。
シンプルに言うと「人間」で解決しない方法。
例えば「会議室で携帯を使わせないようにする」という問題。
これを技術的に解決するならば、「電波が届かない会議室にする」とか「会議室に入るには携帯を預けないといけない」とかになる。
人間の意識とか思考に関係なく、そうするしかない状態にする。

これを応用すると、人の動きをコントロールすることができる。
例えば建物の動線。
見てほしい掲示物があるなら、そこを通るような動線を作る。
見てほしくない物があるならば、動線から外せばいい。
座ってほしい場所に椅子を置けば人は座る。
座ってほしくない場所にトゲを置けば人は座らない。
こういう考え方が「技術的解決法」である。

次に「道徳的解決法」について。
これはある問題を「人間力」とか「意識」とかで解決する方法。
シンプルに言うと「気をつけさせる」ことで解決する方法。
例えば同様に「会議室で携帯を使わせないようにする」問題。
これを道徳的に解決するならば、「携帯を使わないでくださいという掲示物を貼る」とか「携帯を使わないようにしましょうと伝える」とかになる。
テクノロジーやシステムに頼らず、人間の「良心」に訴えていく。

どちらの解決法がいいとか悪いとかではない。
どちらにもメリット・デメリットがある。

まず「技術的解決法」について。
メリットは「解決スピードが早い」こと。
人間の意識に関係なく「そうすることしかできない」から、問題が起こらなくなる。
順応しやすいシステムであればストレスも少なくなる。
デメリットは「再発可能性が高い」こと。
例で言えば、その会議室では携帯を使わなくなるけど、他の携帯を使える会議室では使ってしまう可能性が高いということ。
つまり、根本的な解決はしていないということ。

次に「道徳的解決法」について。
メリットは「再発可能性が低い」ということ。
人間の意識を高めることで解決するので、何が問題でどうしなきゃいけないのかを理解することが再発防止につながる。
つまり、根本的な解決につながる。
デメリットは「解決スピードが遅い」ということ。
例で言えば、その会議室で携帯が使える限り隠れて使う人はなかなか減らないし、何らかの抜け道を見つける人もいる。
さらに解決するまで注意喚起を繰り返さないといけないので、注意する側もされる側もストレスになる。

上を踏まえてどうすれば良いかというと、両方の解決法をどちらも行うこと。
両輪で行うことが大事。
人の意識や行動を技術的にコントロールしつつ、合わせて注意喚起を促して道徳的な成長を進める。

しかし世の中には、「道徳的解決法」の方が多い気がする。
「ダメって言ったじゃないか」とか「気をつけなきゃダメだろ」とか、そういった類。
もちろん個々人が意識をして気をつけないといけないことはたくさんある。
ただ、人によって得意不得意は異なるので、一律な道徳的解決はそもそも難しい。
だからその得意不得意をフラットにするために技術的な解決法を並行することが大事。

この解決法の一番の壁は「技術的解決法」と「ルール」や「法律」が抵触してしまう場合。
ただ、道徳的解決法の負担が減らないのであれば、もしかしたらルールの方が誤っている可能性もある。
そこに対して柔軟な考え方をこれからも養っていきたい。

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