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UNDER THE COUNTERの「モダンライフ」という曲が昔から好き

 自分が好きなものに真っ直ぐ向き合う時間のマニアックさはとても大切。しかし、サブスクにないので必然的に聞く機会が減ってしまった。データは置いておくものから持ち歩くものになり、そのうち誰のものでもなくなって誰でもアクセスできるようになった。

 「モダンライフ」はそのまま訳せば「現代の生活」というものだが、聞くたびになるほどとタイトルに唸らされる。

日がな一日テレビを
つけたりけしたり
かったるい
かりそめのカリスマたち
生き急いだ未来

 やることを決められない日や、やりたいことがあっても腰が上がらない日はこんな感じだなと思う。テレビに映るカリスマたちはいつの間にかいなくなる。かったるくテレビをつけたり消したりするのと、生き急ぐかりそめのスピード感との対比にまどろむ。

しがない暮らしの中で
僕らはすっかり
ファンタジー
あとは水に流せれば
願ったり叶ったり

 「僕ら」が誰なのか曖昧で、それぞれの「僕ら」がいる。そんな「僕ら」はしがない暮らしがファンタジーに思う。現実は現実味がありすぎて、どこか他人事のような現実感の無さを覚える。かったるいファンタジーは水に流せればいいのに、流せないからこそファンタジーな現実なんだろう。

訳もなく街へ出た
欲しいものもないのに
あてもなく歩くだろう
満たされやしないのに

 テレビのある現実味のないファンタジーから世界を移すものの、特にやりたいこともないし行きたいところもない。それでもどこかへ行きたい思いが、満たされないとわかっているのに足をどこかへ向かわせようとする。
 掴みどころのない微睡のような生活をキラキラとポップに歌う。希望を見出そうと明るい気持ちを探す顔はどこまでも悲壮さに溢れている。ドラマチックなオープニングと耳障りの良いギターリフは、現実から目を背けようとするほど現実が目の前にやってくる感覚と隣り合わせ。そんな感覚。

根もない言葉飾って
ばっかりはもないハッタリ
不安材料
セブンスターの
ケムにまかれた

 根も葉もないと言ったら噂。これは他者の存在ありきのもの。何が正しいのかわからない不安中で鈍る判断力の様子を「ケムにまく」と言い、その煙とセブンスターを掛けている。セブンスターを吸ってるのは落ち着くためか、しかしその行動までもケムにまかれているのだとしたらやるせない。

何となく頷いた
傷つくことないように
それとなく笑うだろう
笑いたくもないのに

 ここが1番好き。信じられないことやわからないことが溢れてる世の中で自分の判断力が鈍ってしまうようなかったるい現実で、それでも誰かを求めて外へ出た。傷つくことないように、というのは自分か相手か。どちらでもいいけど、とりあえず頷いておく。そしてとりあえず笑っておく。
 事なかれ主義と片付けるのは簡単だが、その裏側にはとても複雑で、だけどとてもシンプルな思いがある。かったるいしやりたいこともないけど、誰かといたい。誰かといたいけどどうしたら良いかわからないから、とりあえず頷いて笑っておく。こんな不器用さが微睡。

明日の我が身
狭い部屋に
伺って占ったら
何がわかるだろう?

 いよいよこの曲もクライマックス。こんな感じのモダンライフで明日はどうなるんだろう。ただ、自分がいる狭い部屋に聞いてみたところで何がわかるのだろうか。ここに外の世界への憧憬を感じずにはいられない。
 テレビをつけたり消したりしていたかったるい部屋から外へ出たけど、やりたいこともなくて行きたいところもなくて、どうしようもないからとりあえず頷いて笑って、そんな中で我が身の明日をまた部屋で案じる。とても狭い世界のファンタジー。

真夜中の静けさは
ときにとてもおしゃべりで
知らん顔してみたが
夢の中へやって来た

 静けさは語りかけてくる。勝手に身を案じた部屋からのアンサーかのように、とてもしつこく。そんな時に見る夢はどんな夢だろう。どこまでも隣り合わせの現実を痛切に歌い上げる中で、自分自身の生活ってどんなだっけ?と省みらざるを得ない。

いつからか僕たちは
不確かに生きのびて
どこからか呼ぶ声が
したようで立ち止まる
耳をすましてみれば

 あぁそうだね、僕たちは本当に不確かに生き延びて来た。不確かすぎてファンタジーに感じていたけど、これはかったるい現実だね。そんなことに気付いた時に誰の声が呼んでくるのだろう。ここがこの曲の希望と絶望の狭間の微睡感を絶妙に表している。
 耳をすまさないと聞こえないその声は、このモダンライフを象徴していて、もしかしたら切り裂いてくれるものかもしれない。どうしようもねえけど悪くもねえような感じ。こんな感じが素敵でたまらない。

 微睡感がたまらない。

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