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平和に見える町にだって病は存在する

 さて、職場の人が1人、今週から来ていない。体調不良とは言うが、おそらくメンタルだろうなと思った。以前は各々が各々で責任を丸投げするだけであり、それで僕が壊れてから少しコミュニケーションが取られるようになったが、根本が変わっていない。コミュニケーションとホウレンソウをごっちゃにしてやいないか。
 僕も社会人になってから何度もメンタルが不安定になりながら、何とかやってきているのだが、メンタルにガタが来ている時に一番辛いのは人に連絡することだ。理解してもらえなかったらどうしようという恐怖や、そもそもの行動を起こすエネルギーがないということもある。いずれにしても、「自分の状況を伝えられない」ことと、「自分に対してどう思っているのかがわからない」状況というのは、一言で言い表せないくらい複雑だ。
 何が複雑かというと、解決策を講じれば解決するとは限らないからだ。周りの人間は何とか「原因」を探そうとする。そして、その「原因」を取り除けば解決するシナリオを思い描く。有事の切り抜け方のストーリーがそれしかないのではないだろうか。
 しかし、一度壊れたメンタルは原因を取り除けば直ちに回復するものではない。そもそも原因だと思ってたもの(決めつけたもの)が、実は原因ではなかったり、複合的なもののひとつだったりする。というか、そもそもね、「原因を取り除こう」という発想がおかしいと思うんだよね。機械じゃないんだから。そうやって人間を機械みたいに扱う人たちからAIに取って代わられてください。
 僕の職場ではとにかく、物事を「一緒にやる」ということが本当にない。初めてのことも「やり方」を教えるだけだ。やり方を教えれば人間はできるようになると思っているらしい。機械じゃないんだから!
 そんな人と機械の区別がつかない全時代的な風潮の中で、心を壊す人が出てくるのは必然なのだが、所詮は機械としか見ていないので、修理方法を考え、直らないなら廃棄方法を考える。ティール型組織とは程遠い。そしてこの組織にはその自覚がない。
 心配なので僕は連絡を入れたら、幸いにも返信が来た。やはりメンタルだった。この人が人として扱われますように。

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