第二話

                          

~2002年8月、大連~

それは私にとって全く退屈な海外出張だった。常務のお供で初めての中国、大連という場所に降り立ったときの驚きは確かに鮮烈であったが、日に日にその輝きは失れていったのである。まるで米国のような空港から市街までの高速道路とそこからの景色は昨今、噂される中国の近代化を強烈に事実として私に印象付けたがその後がいただけない。その後というか、その「先」を全く見ないまま、丸一日が経過し、もう明日の朝の飛行機で成田に帰らなければならなくなってしまったのだ。

最近、日本の大手IT企業では「オフショア」と呼ばれる動きがある。誰がなんと言おうと労働集約型産業である日本のソフトウエア産業はバブルの崩壊にリストラという手段であっさり生き残った。中小では閉めた会社も多いが閉めたところでそもそも社員しか設備はないので借金を抱えて首をくくる的な悲劇はどこにもない。ソフト会社は借金がないのではなく誰も金を貸さないのだ。貸そうにも担保がない。おっとずいぶん脱線してしまったが2000年、Y2K問題あたりから人手不足が目立ってきた。でも気付くとそんな業界の悪評判が出来上がってしまっていて簡単に人は補充しにくい。経営者もおそるおそる採用を始める一方で人件費が安い中国を外注先として名乗りを上げた。これが「オフショア=向こう岸」開発ということだ。わが社は最大手だけにそういうことは下請け会社か孫受けの仕事なのだがさすがにこれだけ盛り上がれば見に行かないわけにいかないというわけだ。今回は私の上司である加藤常務が大連市の要請でこちらのソフト会社向けに講演をすることになったそのお供で新任役員の私が帯同である。到着は一昨日の夜。昨日は朝から上司は講演で留守であり私は副市長との会食以外は特に用が無かった。

「いろいろと見聞を広げに行こうではないか?」と連れてきてくれたのはいいのだが「この状態」ではどうにもならない。これは体のいい監禁である。昨日は一日、朝から夕食で上司と合流するまでこの二人と一緒。今日もホテルで朝食が終わったらロビーで待ち構えていて「どうなさいます?」ときたもんだ。問題は中国大連ではなく「この状態」であり「この二人」なのだ。

「いや、どうなさいますっていっても結局あなたの言いなりじゃないですか」「あら、いいなりなんてひどいですわ」

大連市の市役所職員と紹介されたが小柄でひっつめ頭の30過ぎの女性は日本語が堪能なのだが全くこちらの話を聞いてくれない。顔立ちはきれいなのだが化粧っ気がなく太い眉毛が80年代の日本人、ダブル浅野っぽい。そしてもう一人は男だ。一言もしゃべらない屈強な「運転手」と呼ばれる男がホテルの入口、ドアマンの脇に立っている。黒いブルゾン、というより「ジャンパー」と呼ぶのが妥当であろう袖口が擦り切れた上着を着た男は40代半ばだろうか。強烈に鋭い目つきをしている。これは軍人の眼つきだろうと私は踏んでいる。目立たないようにしているが常に私を視野に置く位置取りが普通の運転手にできるわけがない。現地生産の5気筒のパサートを手足のようにあやつるこの男。なぜか昼食の時は同席し一言も話さないのがなんとも気味が悪い。

「市街を歩いて買い物したいって言ってるじゃないですか」

「はい、では今日は二百三高地へ行きましょうね」

「あんた、俺の話きいてる?」

このペースで昨日は海沿いの観光地を歩かされたわけでもう勘弁してほしい。このあたりの物価も知りたいし街の様子を見てみたい。しかし私は無理やりにパサートの後部座席に押し込められていた。ダンパーの抜けたサスペンションと黒く冷たいビニールシートのもたらす乗り心地にうんざりする私を乗せて。

つづく

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