ふたりの友へ

「出会い」という言葉はドイツ語では「Begegnung」と言って1970年代、実存主義精神医学の分野では「自己の態度の定め方や発展や見方などに決定的な影響を及ぼすような人と遭遇すること」を意味するらしい。相手が重要人物であるかどうかということではなくて、自分の側にほんとうに相手と出会う用意があるかどうかということが問題にされていた。これは中々、今の自分にとっては痺れる問いである。

2023年3月16日 出会い

上記の文は、今年の三月に僕が書いた物だ。今見返すと、何か予兆のようにも思える。

noteを始めてもう半年が経つ。最初は独り言のつもりだった。こんなニッチな物を書いて読む人なんか居ないだろうと思っていたし、自分の文章を人様に見せれるような物だとは到底思っていなかったので「何十年後かに、物好きな何処かの誰かが見つけてくれることを祈って書こう」と考えていた。

それがありがたい事に、この半年で本当に様々な人と関われた。その中でも、特に僕の中で強く印象に残っている人物が二人居る。今回、その二人へと「あなたの事を書いてもいいですか?」と聞いたところ、お二人とも快諾してくださったので、ここにその二人への想いと、彼らとの関わりが一体僕にとってどれだけ大きい事だったのかを記そうと思う。


あきさんへ

まず一人目は「あき」さん。もっとも、出会った当初の僕には「二日」さんだったのだが。

あきさんとの出会いは、彼が書いた「【愛着障害の僕の人生】過去の傷を振り返り、生き方を真面目に考えてみた」という記事を僕が読んだところから始まる。

最初に記事を読んだ彼への第一印象は「放っておけないな」という感じだった。何よりもまず初めにそれが浮かんできた。記事の中に、自己啓発と合流したアドラーに毒されたとんでもないヤブ医者が出てきていて、たまらず「”偽”アドラー心理学」という記事を書いた。

あれは彼へと宛てたものではなくて、丁度その頃「生徒に嫌われる勇気を持ちましょう」というような事を書いている教師を見るのにうんざりしてしまっていたからだ。

記事を書いたその日のうちに、あきさんがコメントを下さった。ちょっと驚いて、何故か軽く放心状態だったような気がする。これが知り合うきっかけとなった。

あきさんと知り合ってから少し経った後。彼がDiscordという通話アプリで、誰か話さないかと募集していた。僕はその当時、ネット上で会話するというのは「鬼が出るか蛇が出るか」という勢いで警戒していたので、すぐには彼と話そうとは思わなかった。

でも、彼の書いた物を読んでいく内に、本当に他人事とは思えないほどに胸が痛んでしまって、こちら側から彼へとコンタクトを取った。彼の記事はいくつか消えてしまっている為、詳細にどの物だったかは分からないのだが、確か彼の書いていた「僕って幸せになってもいいですか?」という記事が、僕にとっての決め手になった気がする。

2月23の夜だったと思うが、フレンド申請を送るのに1時間以上掛かったと思う。あれを気兼ねなくできる人がよく分からないのだが、多分気兼ねなくできる人から見れば僕の方がよく分からないのだろうな。だって「フレンド申請」ですよ。とにかく震える手で申請を送った。

申請が認証され、メッセージが送られてきたのは次の日の明け方だった。まるで後期高齢者が始めてスマートフォンを触るように「あれが分からない」「これが分からない」という雰囲気を醸し出していた僕に、やさしくDiscordの使い方を教えてくれた。

「心配になって申請を送りました」と言ったら「僕も17歳の頃には、17歳の少年に心配される人生になるとは夢にも思ってなかったですね」と返ってきて、その後すぐさま「うまく話せなくても良いので通話とかしませんか?」と。

ちょっと待ってくださいよ。まだ朝の8時だし、こちとらあわよくばチャットだけのやり取りで済ませられるかな~、と企んでいたのにいきなりの通話ですか? ただでさえ電話は相手の表情が見えないから苦手なんだけどなあ。などと数分間考えた末に「まあこちら側から接触したんだしな」と、またもや震える手で承諾の旨を伝える。

「友達」への理想について彼がよく言っていた事は覚えているのだが、具体的に何を話したのかを、余り覚えていない。とにかくふわふわして、緊張なのかなんなのか体が震えるので、ヒーターを点けて布団にくるまりながら話していた。

唯一記憶に残っているのは、僕がこれから出掛けるという話をして「何処か行くんですか?」と聞いてきた時に「家賃の支払いとか諸々の光熱費の支払いとか、後は買い出しとか」と言ったら「家賃の支払い!?」と驚かれた事ぐらいかな。確かに17歳からあまり出てこない言葉ではあるが。

彼と話してから、僕の中で明らかに何かが変わったと思う。それは「インターネット越しで出会う人間は総じて怖い」という条件付けが無くなったという事もあるのだろうが、それよりももっと深い何かだ。

それは彼の人とのコミュニケーションのあり方が、相手を勇気づけようとする態度に溢れていて、僕もそれに触発されたのだと思う。僕が平等性智にたどり着けないと悩んでいた頃、彼に「でもタッキーさんは信念を持って人を見下しているじゃないですか」とM.エリクソン風に言われて「人間の口からこんな言葉が出るんだ」と少し泣きそうになりながら感動した覚えがある。

しかし、あれは疲れるだろうなぁ。僕が意識的にやろうとしても難しい事を、彼は半ば無意識的に(強迫的にと言った方が正しいかもしれない)やっているように感じる。と、そんな事を勝手に妄想していた。

彼と始めて話して以降、日常生活でも少しずつ良い行動変容が起きている。今でもSNSで知り合った人と会話しているのが信じられないし、サプリメントを飲み始めたのも、彼から勧められたのがきっかけだ。これは僕にとって、サリヴァン先生がヘレン・ケラーを治療教育したのと同じくらい感動的な事なんですよ。もちろんサリヴァン先生があきさんね。

最近人と話していて気づいたのだが、僕は意外と誠実なのかもしれない。俗に言う「フォロー」だとか「フレンド申請」だとかを、あんまり気軽に押せるタイプの人間ではない。もちろん著名人なら気兼ねなく押せるが、僕にとって「フレンド申請を送る」というのは、一生相手と付き合うぐらいの意を込めて送っているので、今現在Discordのフレンドは7人しか居ない。その中でも自分から送った人は、あきさんを含めて2人しかいない。

ある時、彼が人間関係に疲れてDiscordのアカウントを消してしまって、それ以来は自然と疎遠になっている。その頃は「今は人と関わりたくない」というオーラが全面から出ていたので、記事へのコメントもせず、ただひたすらに傍観していた。

最近はGRAVITYというアプリで音声配信していて、そこで2ヶ月ぶりに彼の声を聞いた。「声がいいのでラジオかなにかでずっと話していて欲しい」と言った僕の願いが叶って嬉しかった。

一番はじめに彼の配信を聞きに行った時「なにか話しますか?」と誘われた覚えがあるのだが、なんとなく友達ごっこがつまらないだとか、頭の悪いDiscordのフレンドだとか、ハエだとか呼ばれた覚えが無いわけでもないので「嫌われているのかな?」と思い、聞きに徹していた。

「知っている人が居ると話しずらいなあ」と彼が呟いていたので、「抜けた方がいい?」とコメントを打ったら「なんでそんなこというの」と返ってきたので、ある程度は僕の妄想だった訳だが。

以前、彼が「どんな人にも尊敬できる良いところがある」というスキーマを持っている。と言っていたので、相手に何か不満があっても面と向かって言えないのだとすると、僕と話すのはストレスだろうなと考えていた。彼も言っていたが、そもそも何が嫌だったのかもすぐには分からないのかもしれない。

それ以来、よく彼の配信を聞きに行っている。彼にとって「人が近づいてくるのは怖い事」らしいので今ぐらいの距離で良いのかな~、と思う反面、また「AIに魂は宿るのか」というような事を、小一時間ほどダラダラと話したいとも思う。

最初の頃は声が震えているように聞こえて心配していたのだが、最近は普段よりは元気そうで良かった。それでも人と話している時はかなり消耗しているのが分かる。4.5回ほど聴きに行って、僕が唯一打ったコメントは「わかる」だけ。コメントを打つのにも勇気がいるんですよ。

ところで… 彼とのやりとりは、彼が突然せんべいを食べている咀嚼音を送り付けてきたのが最後だったのだが、なぜいきなりのASMRだったのか未だに聞けていない。また送ってくれるらしいので、その時が来るまで待っていよう。

好きな記事を置いておく。


げんにびさんへ

続く2人目は「げんにび」さん 。

彼を見ていると、2人の人物を思い出す。1人は頼藤和寛という精神科医。もう一人はマヌ・バザーノというイタリア人の禅僧。後者については、似ているというより不意に浮かんできた。

彼の事を知ったのはこのnoteを始めてから… ではない。たしかTwitterだったと思うが、ラジニーシの事について調べていた時に「ガチのマジで悟る方法 苦しみを終わらせる方法」という彼の記事を見つけたの最初だ。

その頃は「世の中ナメ郎」という名前で(ボーボボかな?)初めて見るタイプの人だった。第一印象は、正直に言うと少し怖かった。「怖かった」というのは、どちらかと言えば畏敬に近いのだが、なんとも言えない独特の雰囲気があって「面白い人や」という感じだった。ある人が「三島由紀夫は神経症的な天才だ」と言っていたが、彼に初めて覚えた雰囲気はそんな感覚だ。

僕がnoteを始めて彼を知るころには、もう「げんにび」になっていた訳だが、実際に関わりを持つようになったのは、僕が「なんでそんな事で悩んでいるの?」という記事を書いた時に、彼がコメントを書いてくれたところから始まる。

この記事は今でも書かない方が良かったかなと考える時があるのだが、彼との出会いを担うことになったのだから、まあ良しとしようか。

コメントでの文章が、普段の彼の文体と違い過ぎてビックリしていた。とっても物腰柔らかに「アドラー心理学の魅力ってなんですか?」と書いてくれたので、彼へと返信用の記事を書いたのだが、あれは一番納得の行っていない記事で、書き加えなければならない事も沢山ある。幸いそれでも興味を持っていただいたようで何よりだが。

その後、Discordのフレンド申請を彼の方から送ってきてくれた。「野田先生って日本仏教に不信感を抱いていたのですか」と聞かれたので、僕の知る範囲で答えさせていただいた。その後も2人で愚痴を吐いたり「縁起と空は認識論か、それとも存在論か」という質問をしたりと、彼からは本当に色々な事を学んでいる。あと、返信が自動応答かと思うぐらいに早い。

「全ての言説は戯論である」という事と「重要なのは、正しいかどうかではなく有益であるかどうか」という前提を共有できる人が本っ当に少ないので、それだけで彼に出会えて幸せだ。

彼は、誠実に生きようとしている。彼は、カッコよく生きようとしている。それは今の虚飾にまみれた誠実さやカッコよさではなくて、真に人間としての誠実さを取り戻して生きようとしている。

彼は言うまでもなくニヒリストであって、それはちょうど僕とは対極の立場に居るということになる。いや、正確には対極ではない。2人とも「すべては無意味だ」というところから始まって、彼はそれを受け入れて生きている。彼の過去の経験を知ると「受け入れざるを得なかった」と言う方が正しいのだろうか。ともあれ彼は、アルベール・カミュの「不条理の哲学」に則って生きている。

一方僕の考え方は、さながら実存主義風で「無意味」から「始めて」いる。彼は「無意味」を「受け入れて」いるように感じるから、彼と僕とは、ある部分で水と油だ。でも彼の書いているものを読んでいると、手段が違うだけで目指そうとしているところは同じだと感じることがある。

僕は「この世は無意味である」と説く事はしない。それは、その認識が共通感覚として広まりつつあるから。ニヒリズムというのは価値観の喪失であり、人生から意味を奪ってしまう思想だ。それに、僕なんか彼に比べればエセニヒリストで、本当にこの世界は無意味だと思った事はないからね。僕が私淑している野田俊作という人は、72年かけてニヒリズムと戦ってきたのだし。

彼が強く影響を受けたというアルベール・カミュの「不条理」という考え方があるのだが、あれは僕には余りにも高踏的で「ではどうすればいいの?」と考えてしまう。「この世に何一つとして意味のある事などない」と言われると、僕には何もない砂漠に一人ポツンと置き去りにされたような感じがして、とてもじゃないが我慢ならない。それに、しっくりこない。何処か違和感がある。

と、これ以上書くと止まらなくなりそうなのでこの辺にしておくが、とにかくこんな事に気づかせてくれるぐらい、げんにびさんの影響は僕の中で大きいという事だ。あと、一つだけ言っておきたい。26歳はぜんっっぜんおじさんじゃない。ここは譲らない。

好きな記事↓


以前にも何処かで書いた記憶があるが、僕がまだ14歳の頃「しまぐらし」というアプリで、ある人と出会った。プロフィールには「愛着障害」と「ASD」という文字が書かれていた。年齢も性別も分からなかったのだが、その人は西洋哲学と仏教と、ある一人の画家に首ったけで、僕は個人的にその人の事がなんとなく気になり、よく投稿を覗いていた。

お互いに名越康文先生の事を好きだと分かり、ある程度交流が続いていったのだが、ある時期から16Personalities診断に凝り始めて、個人をかなり断定的に、ネガティブな意味合いで語る投稿が多くなっていき、僕の側から交流を絶ったと思う。

人生で初めて趣味以外の興味関心が合う人だった。もし今出会っていれば、きっと違う結果だったんじゃないかな、と今でも考える時がある。あの頃はアドラーの「ア」の字も知らなかったから、違ったまま一緒にやっていく事を14の頃の僕は出来ずにいた。今ならできる。

元はといえば、上で紹介した「【愛着障害の僕の人生】過去の傷を振り返り、生き方を真面目に考えてみた」という記事を読んだのも、その時の経験がきっかけだったりする。つまりしっかりと因縁生起として働いた訳だ。

2人と出会った事による人生論(長いので読み飛ばしてよい)

長いのでね… 本当に…

その人程ではないが、あきさんも、げんにびさんも、時よりまるで上部座の論書かと思うぐらいにひどく否定的・厭世的なので、僕はもう少し別の物語を敷こうと思っている。2人と出会って、野田先生が言いたいのはこんな事だろうというのが実感として湧いてきたので、最後にまとめてみる。


まず「この世に意味はない」という言明は、我々が証明できない問題だ。だから「この世に意味はない」と「本当に」思っている人は、苦悩の果てに誠実に生きようとしている人間か、或いは勝義諦を知らない人間だ 。嘘だと分かっていて、仮説を断言的に言っている人ならば、それは僕が「この世界に意味はある」と言うのと同じ事だけどね。

研究するときは、仮説は断言的に立てる。「AとBは同じである」というように、ともあれ言っておく。「AとBは、ある部分は同じで、ある部分は違う」とは言わない。そんなことをすると、論理学がちゃんと動かなくなる。

とにかく断言的に仮説を立てて、それから証拠を集めて、ある場合には仮説を否定してしまう。むしろ、否定することが目的で仮説を立てることさえある。ギリシア時代からそうだったと思うし、インド論理学もそうだと思う。

仮説は断定調で、議論の中でそれが否定されるという形で、最終的な主張が出てくる。統計学は、そういう論理学の伝統の上に成り立ったんだと思う。

実際、ある主張を肯定的に立証するのは、議論の背後にある大原理がすでにわかっていて、そこから演繹するときにしかできないと思う。たとえば、「ソクラテスは死ぬ」ということを論証するためには「人はかならず死ぬ」という大原理について、立論者と対論者が一致して認めていないといけない。

もし大原理がわかっていないときには「いろいろ観察して、多くの場合そうなる」というような帰納的な論証しかできなくなる。一方、主張を否定するのであれば、そうでない実例をひとつあげただけでも否定できるわけで、大原理がわかっていなくてもいいし、帰納的な論証に頼る必要もなくなる。

たとえば「人生に意味はない」という主張を立てておいて、誰かが死ぬ間際にでも「私は人生に意味がないと思った事は一度もありませんよ」と示せば、「意味がある『人』も存在する」ということが立証できる。もっとも、この方法では、「すべての人の人生に意味はある」ということは立証できない。しかし、「いかなる人の人生も意味はない、というのはなりたたない」ということは立証された。これが人の知の限界であるかもしれない。もちろん、意味のあるなしは主観的にしか示せないので、本人の口から出た言葉が真実であることが前提だが。

とにかく「この世界におこる出来事は、すべて必然である」という仮説と、「すべて偶然である」という仮説とがある。あるいは、「この世界には目的がある」と、「この世界は無目的だ」という仮説だと言いなおしてもいい。「人生には意味がある」と、「人生は無意味だ」でもいい。「神が存在する」と、「神など存在しない」でもいい。これらはどれも嘘だ。

「神が存在する」も嘘だし、「神は存在しない」も嘘だ。「人生には意味がある」も嘘だし、「人生は無意味だ」も嘘だ。「すべては必然だ」も嘘だし、「すべてはでたらめだ」も嘘だ。だって、本当か嘘か、論証する方法がないから。つまり、それらの命題は、言葉を越えたものを扱っているので、無意味ではないが、論証不能だ。これは全て「語りえないもの」の部類に入る。

そこで、任意にどちらかの仮説を選んでいいことになる。神秘主義者になってもいいし、虚無主義者になってもいい。しかして、選択は、結局はこの二つしかないように思う。「世界は必然である」と「世界は偶然である」は成り立ちそうな仮説だが、「一部は必然で一部は偶然だ」というのは成り立ちにくい仮説だから。だから、人は神秘主義者であるか虚無主義者であるしかない。ともあれマンダラ世界にはどちらも必要な存在だ。

「嘘だという事そのものが、真実など何一つ存在しないことになって、それ自体が虚無の世界だ」と反論する方も居るかも知れない。が、それについてはそんなに悲観的に感じていないし、「真実(真理)」は存在する。しかし、それは言葉では語りえないものだ。それに、そのことを指摘するのは人々を幸福にしないと思う。

アドレリアンなので「肯定的な文脈だけが建設的であれる」であると考えている。すべて解体されてしまった今だからこそ、大きな物語が無いなら人々を幸福にする物語を広めていけば良いのではないだろうか。僕はそんな壮大な事を思いつかないので、アドラーとチベット仏教に頼っているが。

もう少し「この世は無である」という事に反論する。仏教では「最高の真理(勝義諦)は言葉では言えない」という共通了解をもっていて、言葉で言える真理(世俗諦)はいずれにしても相対的な真理にすぎないと考えている。

その言葉で言えない最高の真理を敢えて言葉で言うとすると、仏教徒はそれを「空なる法身」と呼び、ヒンズー教徒(ヴェーダンタ派)はそれを「アートマンと一体であるブラフマン」と呼ぶのだが、いずれも絶対者であって、したがって自他の分別はおろか、有無の分別さえ超えている。

あるものが「有る」というのは、「無い」と対立して「有る」わけだが、絶対者についてだけは、絶対者以外にはなにも存在しないのであるから、「絶対者が有る」という言葉は意味をなさない。なんなら「絶対者が無い」と言ってもかまわないので、そのときの「無い」は「有る」と対立した「無い」ではないから、「絶対者が有る」というのと同じ意味になる。およそ言葉はその言葉と他の言葉との差異、二元対立があるので有効なのだから、二元対立がないなら、それについて言葉で語ることはできない。

そうすると、「無」は、同時に「有」であるわけだし、「意味や目標はない」は、同時に「意味や目標に充ちている」ということであるわけだ。ほら、少しは希望が見えてきた。

とにかく、僕は神秘主義を選んだ。そこで僕は「この世に意味に満ちあふれている」と説くし「人生には意味がある」と説く。それはSNSで「死にたい」とでも検索すれば、理由はすぐに分かるはずだ。と、ここまでが前提。


Osho(ラジニーシ)が、講話の中でよく「今この瞬間に幸福になりなさい」だとか「幸せなとき、あなたは普通なのだ、なぜなら、幸せであることはただ自然であることだからだ。」だとか「幸せに特別なことは何もない。幸せはごく普通のことだ。」だとか言うのだが、初めて読んだ時は、イマイチ理解できなかった。それが最近になってようやくしっくり来るようになったので、自分なりに整理してみる。

げんにびさんに「縁起と空は、認識論か存在論か」という事を聞いた。認識論だと「縁起と空」は仏教という枠組みから世界を見たときに見えるもの、になって、存在論だと、縁起と空は仏教の枠組みとしてではなく、世界の法則として現にあるものという事になる。

で、結局僕の結論は、縁起と空は存在論であって、人間のものの見方などではなく、世界の法則としてあるものという結論に至った。少し長いが、以下の引用文を読んで欲しい。

 石飛道子先生が『ブッダ論理学五つの難問』(講談社選書メチエ)の中に、「ブッダの哲学は、無から有へと転変するという存在論を根幹に置くのである」(p.73)と、なにげなく書いておられるが、これを読んだとき、私は椅子から転がり落ちそうになるほど感動した。それまでは、《無常》だの《縁起》だのというのは認識論であり、「ひとつのものの見方」だと思っていた。そうではなくて、それこそがこの世界の実相なのだということを、それを読んだときに知った。経典のどこにでも書いてあって、しかも読んで知りえないことを、なかば一般向けの草書で知るということもあるのだ。縁だね。

 われわれは、なんとなく世界は恒常的に存在し続けていると思っているし、たとえ恒常的なものがひとつとして見られないとしても、現象の背後には目に見えない恒常的なものが存在するはずだと思い込んでいる。すべての西洋哲学は、ギリシア時代から現代にいたるまで、そのような存在論の上に形作られてきた。しかし、世界に恒常的なものがあるという証拠はなにもない。ブッダが言ったように、よくよく観察(かんざつ)すれば、恒常的なものはなにひとつなく、すべてのものが変化する。だから、「すべてのものが生滅する」という言明は、われわれの認識のしかたによって変るものではなくて、世界の存在のしかたそのものであり、《事実》である。そう考える方が、より自然である。

 世界の一切のものは《無常》であって生滅するが、しかも、偶然に、無意味に変化するのではなくて、原因があって結果があるというように、《縁起》という法則性をもって変化をする。「これあればかれあり、これなければかれなし」というように、原因のない結果はないし、結果を生まない原因はない。すべてのものが因果性の中で生滅する。先の、《無常》だけだと、ニヒリズムに陥るが、これに《縁起》がくっつくと、生き方の指針になる。仏教のありがたさは縁起説にある。《無常》は事実であるが、《縁起》もまた事実である。

なぜならば、「これあればかれあり、これなければかれなし」という法則に反するものを、われわれは観察したことがないからだ。「しかし、それでは帰納的事実であるにすぎず、演繹的事実ではない」という反論がありうるが、そう思うのは《恒常》を存在論にしているからで、《無常》を存在論にすえれば、すべての事象について、すくなくとも「これなければかれなし」ということは確実にいえるので、そこから「これあればかれあり」もいえるということになる。

だから《無常》という存在論があれば、《縁起》はそこから演繹的に導き出せるわけで、やはり存在論であることになる。このように、仏教の教えは帰納的なものではなくて演繹的なものだ、というのが石飛先生の議論なのだが、仏教学者内部での評判はかなり悪いらしい。まあ、コペルニクス転換だから、しばらくはしょうがないだろう。

 仏教は、存在論的には《無常》を考えている。これをそのままに認識することを、《如実見》yathabhuta-darshana という。ヤターブータ・ダルシャナと読むのだけれど、ヤターは英語の as に相当し、「~のごとく」で、ブータは英語の been、すなわち「在る」という動詞の過去分詞で、だから「在りしこと」という意味になる。だから、ヤターブータとは、「在りしままに」という意味で、そこに「見知る」という意味のダルシャナをつけ加えて、《如実見》という。一方、世界を《恒常》であると見れば、《妄想見(もうぞうけん)》vikalpa-darshana という。ヴィカルパ・ダルシャナと読むが、ヴィは「分ける」で、カルパは「方法」という意味だから、《分別》と訳されることもある。《如実見》や《妄想見》は、認識論の問題だ。

 この議論はどこから出てきたかというと、法句経(ダンマパダ)の中の次の偈からだ。

自分が悪をなせば、自分を汚し
自分が悪をなさなければ、自分が清まる
清浄も不浄も自分で決める
他者が他者を清めることはない

 これは《縁起》について述べていて、したがって《無常》について述べていて、したがって《事実》についての言明で、《如実見》だ。問題は最後の句、「他者が他者を清めることはない」という部分だ。パーリ語の原文は "nanno annam visodhaye"(ナアンニョー・アンニャン・ヴィソーダイェ)で、「他者が他者を」と書いてあるが、中村元先生は、「人は他人を浄めることができない」と訳されている。微妙に誤訳かもしれない。どうも中村先生の訳は、細かいところで誤訳気味の部分がある気がする。それはそれとして、要するに、「自分が自分を清めることだけができる」という意味だ。「清浄」とか「不浄」とかいうとわかりにくければ、「幸」とか「不幸」とか言いなおしてもいい。そうすると、「私を幸福に(不幸に)できるのは私だけだ。人は私を幸福に(不幸に)できない」という意味であることになる。これは《意見》ではなくて《事実》なのだ。

 「他人が私を幸福にできないのはわかりました。しかし、私が他人を不幸にすることはできるでしょう」という人がいるかもしれない。実はそれは間違っている。私がどんな行為をしようが、相手は自分で幸福であるか不幸であるかを選ぶ。それが存在論的な事実だ。ただし、相手は《如実見》をもっていないかもしれなくて、そうなると私の行為次第で幸福になったり不幸になったりする。それは、存在論的問題ではなくて、認識論的問題だ。

《妄想見》をもっている人たちをイジめてはいけないので、他人を不幸にしないように気をつけなければならない。それに、他人が不幸になるようなことをすると、たとえその人が《妄想見》をもった迷える衆生であったとしても、その結果が自分に跳ね返ってきて、自分の状況を悪くするというのは、これは《縁起》であって、存在論的事実だ。
まあ、存在論的には、状況が悪いからといって不幸になることもないのだけれど、そんなヘソ曲がりをいわないで、人は慈悲をもって暮らした方がいい。

 「他人を幸福にするために行為しなければならない」という道徳律も、相手が《妄想見》をもっているということを前提にしている。悟ってしまった相手は、私が何をするかに左右されない。けれども、迷える衆生は、私がすることにたえず影響される。その人たちが幸福になるようにすべきことをした方がいいが、実はそれは本質的なことではない。なにしろ、妄想の相手をしているわけだから。その人たちに、「あなたを幸福にできるのは、あなた自身だけですよ」と、事実をありのままに教えてあげる方が、より親切だと思う。だから仏教は福祉事業に不熱心なわけだ。

https://adlerguild.sakura.ne.jp/diary/2009/04/27.html

仏教学者の間ではあまり評判の良い結論ではないらしいが、どのみち「どれが正しいか」という議論には興味がない。

丁度これを読んでいた頃、ガルチェン・リンポチェというチベットの高僧の方の過去を調べていたのだが、そこでようやく繋がってきた。

リンポチェは中国との軍事衝突へ赴き、捕虜として捕らえられ、そこでおよそ30年収監された。その間に信仰を侮辱され、数多の同胞たちの首が目の前で切られたという。以下の文は彼の講話からだ。これまた長いが、必要なので読んで欲しい。

その後はつかまって刑務所に入れられました。私自身は戦場に行ったからつかまえられても仕方がないと思いましたが、刑務所に入ったときに、何も罪を犯しておらず、ただ仏教を信仰して教えを弘め、利他のためだけを願っている、とても偉い善知識たちも刑務所に入れられていました。そのとき共産党は、「お前たちはいままで修業して、人のためとか言っているが、修業によって神通力や超能力があるなら、いまここで起してみろ」と言って、さまざまな拷問をしました。そのとき、私の心の中に疑念がすこし生じました。

刑務所では共産党教育を施され、自分でもさまざまな疑念が生じてきました。それまでは仏教で「正しい善い行いをすれば苦しみはない」という教えがたくさんあり、そう信じていました。しかし、ここでは共産主義の教育があり、いままで学んできた仏教を考える機会になりました。

でも、私たち(修業の足りない者)と、一緒にいる善知識たちとを較べると、まったく違うのです。どんな苦しい状況にあっても、善知識たちはまったく苦しみと感じませんし、どんなときでも穏やかで、どんなに苦しくてもいっさい苦しそうな表情を浮かべません。また、修業しても、看守の人たちには見つからず、何をやってもうまくいきました。自分がそのようにうまくいかないのは、自分の努力の足りなさ、修業の足りなさであると、はじめて気づきました。

毎日刑務所では働かされますが、日曜日などはすこし休み時間がありますので、自分もすこしでも善くなれるよう、時間があるときには自分の頭を隠して、看守に見つからないように、心の中でターラー菩薩の祈願文や真言を唱えたり、瞑想をしました。

ケンポ・リンポチェ(ニンマ派のゾクチェンの大成就者、ケンポ・ムンセル(1916-1993))という善知識がおられ、ときどきこっそりお話しを聞くことができるようになりました。

それでラマから仏教の教えや、「このように苦しませる者に対して、憎しみの気持ちを持ってはいけない。それらはすべて自分に原因があり、他のせいではない」という教えを受け、自分でもそう考えるようになりました。

たとえば、自分に家族が何人かいて、その中で自分ひとりがつかまり、他の多くの人たちは一緒に逃げることができた人もいます。業と因果の理ではかならず自分が起した業があって、それが自分がこのようになった原因だと考えるようになり、それまでの考え方が大きく変わりました。

私は、刑務所で苦しんでいるときに、考えを変えました。この苦しみの原因はなにか、敵に対して強い怒りの心があったから自分は戦争に行き、戦争で負けたので、刑務所に入りました。相手の人のせいだけでなく、自分の心にも、自分を守るとか、怒りや嫉妬心、煩悩の心があったからこそ、ここに入ってしまった。それが原因です。そうわかったとき、その因果の理を知った瞬間に、苦しみを半分に抑えることができました。

この世界に無数にいる生き物の中で、人間は特別な力を持っています。私たちが八有暇・十円満をそなえた人間に生まれることは、きわめて困難です。特に、この世界は釈尊の世界で、素晴らしい世界です。でもその中で、苦しみの多い生き物もおれば、少ない生き物もいます。それぞれの行いによって、苦しみの原因、すなわち「業」を作っています。この苦しみを解決する方法、すなわち「道」を知っている者もおれば、知らない者もいます。この世界には、世俗の道と教えの道、そのふたつの道があります。

世の中の因果関係や苦しみについて考えてみましょう。たとえば借金のように、お金を借りたら返済しなければなりません。それと同様に、私たちが積んだ悪い煩悩のおこないによって、その代償として苦しみを味わうことになります。そして、その苦しみをあじわうことにより、以前自分が積んだ業を浄化することができます。そのように自分のためになると考えると、逆に勇気が湧きもっと苦しみがあってもいいと思え、苦しみを恐れることなく、逆に気持ちよく受け入れることができるようになります。

なにも持たない貧しい人であっても、仏教的に考えれば、自分が人間に生まれるという稀有な機会を得て、人間としての優れた能力をもつ十八の条件、すなわち八有暇と十円満、を備えた人間であること、それがほんとうに理解できたなら、貧しいという思いからも解放されて、王様のような気持ちで幸せに生きることができます。そのようにして人としての生というものを大切にして、身近なところから修業をはじめていくことが、非常に重要だと思いますし、みなさんにとっても、人として生を無駄にしないためにも、それは非常に重要であると思います。

日本ガルチェン協会 ガルチェン・リンポチェ伝

これは別にありがた~いお説教でもなんでもなくて、事実だと思う。人間として生まれてきただけで、王様のような気持ちで幸せに生きることができる。もちろん僕は牢獄に30年囚われた事も、家族を目の前で斬首された事もないので、本当にこの域まで行くには、今生じゃ難しいかもしれないけれど、この頃ようやく筋が通ってきて、実感としてもそう思えるようになってきた。

「因縁だなんだというけれど、じゃあ無実の罪で死刑にされたとしても同じことが言えるのか?」と言われそうだが、答えはYes。仏教には「輪廻転生」という教えがある。つまり「前世」の概念があるので、例え僕が今生で何も悪行を積まずとも、前世では人を何人か殺しているかもしれないし、もっと酷い事をしているかもしれない。その場合「無実の罪で死ぬ」というのは、「無実の」の部分が間違いで、過去生の悪業を滅する機会を与えて下さったのだ。

「そんなばかな」だとか、「狂気の沙汰だ」だとか思われるかもしれないが、重要なのはチベット風の転生物語と、現代風の物質主義物語と、どちらが人間を幸福にするかが問題だ。どのみち勝義にはすべては空であり、われわれが組み立てる理屈はたかだか世俗諦であるにすぎないのだが、世俗諦の中にも、より優れたものとより劣ったものがある。

それは作用効果によって決まると、中観自立論証派は言う。西洋哲学風に言うなら「合理主義」ではなく「経験主義」だ。ある理論を採用するかどうかは、理屈が通っているかどうかよりも、実際に使ってみて使い心地がいいかどうかの方を重視するということだ。

もっとも、仏教もじゅうぶん理屈は通っている。ただ、物質主義のように、「観察可能なもの」にこだわらない点が違っているだけだ。僕は作用効果から理論の優越を判定する考え方を気に入っていて、転生物語の方が物質主義物語よりも作用効果がいいなら、転生物語を採用すればいいではないかと思っている。

こういう考え方を非仏教徒はどう思うんだろうか。敗北主義というかもしれず、運命論というかもしれず、ある場合には差別論だというかもしれない。しかし、この考え方だけが、世界に平和をもたらすことができると、私は考える。これ以外の考え方、すなわち、運命を他者なり社会制度なり神仏なりの責任にする考え方は、独善的に自分は正しく、悪いのはすべて他者だという考え方であり、競合的なポジションであり、相手をやっつけることで自分の正義を貫くという行動を正当化する。そうして戦争が起こる。戦争のない世界を作りたいと、みんなが思っている(と思う)。しかし、心理学的には戦争を起こすような思想をみんなが持っている。それは競合的な構え方であり、相手を裁く姿勢であり、独善的な考え方だ。それを持っている限り、戦争はなくならない。そこから抜け出すには、縁起の理を知ることと、瞑想とが必要なんだと、私は思っている。

https://adlerguild.sakura.ne.jp/diary/2012/10/04.html

最近「役割がある」とか、そういった類の事を書いているが、それも全てこの考えへと帰属するものだ。

「縁起」というのは、人と人との出会いだとか、人生の重要な局面だけで意識する事が多かったのだが、チベット仏教では縁起と空を会得する事が修行の半分だと野田先生が口を酸っぱくして言うので、この頃日常の生活全てにおいてそう考える事が多い。そうすると、限りなく幸福な人生だなと少しづつ感じるようになってきた。

「幸福」の定義を、僕は「苦がない状態」と捉えている。例えば、我が家は9LDKとかなり広いので「家の掃除をしよう」と思っても、面倒だとか、あの重いタンスをどかさなくちゃいけないだとか考えて、中々体が動かない。

それを「全体」が僕にそれを求めているのだと思うと、苦しみが半分ぐらいになる。苦しいなと思いながら掃除をするか、楽しいなと思いながら掃除をするかは常に選べるので、楽しいなと思いながら掃除をする。人生において、全てこう考えられるようになるのが理想だ。

もっともこれはまだ「マインド(脳)」でそう考えているので「ハート(心)」でそう思えるようにならなければいけない。瞑想の師匠を探さなければいけないのだが、まだ少しはマインドで「これも縁起だな」と悟りすまそうかなと思っている。

長い間書いて疲れたので、最後にもうひとつだけ。

僕は富山に住んでいて、家から一歩出れば、壮大な立山連峰が見える。冬が来て降り積もっていた雪も、今はもうてっぺんの辺りにしかない。山は、毎日少しずつ違った景色を見せる。日の差し方も違うし、雲の流れも違うし、虫やカエル、鳥たちの鳴く音も違う。

「いま、ここ」で見ている風景はきわめて一回限りのもので、例えば30年後ここへまた戻って来たときには、同じものは決して見ることができないと思う。晴れている日は晴れている日の美しさ、雨の日は雨の日の美しさがある。夏は夏の美しさ、冬は冬の美しさがある。

風景が移り変わるのと同じことで、実は僕も移り変わっている。新潟県に「白山神社」というところがあって、あの場所の雰囲気が好きで、よく母にねだり、連れていってもらっていた。二年前に祖母の墓参りで帰った時は、ちょうど結婚式が行われていて、それはそれは趣のある空間だった。

僕が神社へ行くのは、町の暮らしから切り離されて来るわけではなくて、その直前までの日常生活をぶら下げたままでやってくる。その前に来た時の直前の日常と、今回来る直前の日常が違うから、神社へ来た僕は違うものを引きずっている。それがやがて、神社を縁として、日常から離れていくのだけれど、神社が違うものだから、離れていく場所も違っている。だから、神社が違うように、僕も毎回違うところに着く。

「場所(山や神社)」は大きな縁起の流れの中にあって、僕も縁起の流れの中にあって、あるとき僕と神社が因縁和合して出会う。僕の側に因(因縁)があって神社の側に縁(所縁縁)があるが、その両者が出会うためには、その出会いを支える、世界全体の流れである大きな縁(増上縁)というものがあって、それでもってようやく神社は、僕の前にあらわれる。そういうものの捉え方に、このごろなじんできて、生きていることをとてもありがたいと思うし、人と人との出会いも本当にありがたいことだと思う。

森を見ていて、実はこの木々は自性空で、実体があるように見えているが、実際にはたえず縁起によって移り変わる無常の現象の一瞬の断面にしかすぎないのだとも思い、それを見ている僕も自性空で、実体があるように見えているが、実際には絶えず縁起によって移り変わる無常の現象の一瞬の断面にしかすぎないのだと思うと、今という時間があってここという場所におれることが、かぎりなく嬉しくなるのだ。

「幸せに特別なことは何もない。幸せはごく普通のことだ。」というラジニーシの言葉は、嘘では無かった。


終わりに

僕があきさんと、げんにびさんに出会って、今この記事を書いて、野田先生の書いた物を読んで、僕が今こうして生きているのは、明らかに縁起によるものだ。もちろん他に関わってきた方も多いのだが、多分この2人がいなければ、僕みたいな怠け者が半年も同じことを続けてはいないと思う。

「友達」というのは「語りえないもの」だと思う。よく定義づけしたがる人が居るのだが、なぜそんな無粋な事をするのか分からない。思えば、2人とも結構簡単に「友達」という言葉を使ってくれるので、最初の頃はちょっとびっくりした覚えがある。

僕はこの記事の中で2人を勝手に友と呼んでいるのだが、あきさんの方は僕に会うまで死なないと約束してくれたし、げんにびさんの方はひとりにしないと約束したので、そう呼んでも差し支えないかなと思っている。友好の意の表れだと思ってほしい。

彼らのことは、無条件に好きだ。ある時、げんにびさんに「げんにびさんはげんにびさんのままでいてください」と言ったが、あれは個人を枠組みの中に捕えるようで、間違いだったと反省している。

「○○だから好き」というのは条件付きの愛で、理論整然と愛を言語化すると、淀んでいく。「兎にも角にも好き」である。強いて言うなら、2人とも「超」が付くほど優しいからかな。彼らの良いところをもっと多くの人に知ってもらいたい。

みんな「ひとりはいや」と言っているので、いっその事3人でシェアハウスとかどうですか。三人三様で面白いと思う、夢想だけど。そうでなくとも、3人で何処か出かけたりとか。いつかできたらいいなって。

結局何が言いたいのかというと、僕は2人に出会えて幸せです。これからもずっと仲良くしてくれませんか。今の感情を表すのは、多分この曲を聴いてもらう方がいいです。


お二人について書くことを快諾してくださった事、心よりお礼申し上げます。どうもありがとう。

それから、もし読んで何かコメントを下さるなら、恥ずかしいので個人的に連絡してくださると嬉しいです。



「僕」という一人称で文章を書くのは、やっぱり慣れない。