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コロナ禍が繋ぎ直した、絆。

昨日、友人とのリモート飲みを敢行。

友人と私は、遠く離れたところに住んでいます。

彼は間違いなく私の人生における、

「最も大切な友人」のうちの一人。

10年来の付き合いで、なんでも話すことができます。

そんな友人との、新たな関わり方が「リモート飲み会」

信じられないほどの悲しみを生み出したコロナ禍の隙間に見えた、

私にとっての「希望」の話です。


人生の決断と後悔

私は、とある人生の決断によって、

自分の積み上げたものの大半を一度捨てました。

申し訳なさと惨めさが、私の中で「ごちゃ混ぜ」に。

お世話になった恩人、大切な友人、

すべてを裏切った後悔はすさまじいものがあったのです。

「離れ離れになったって、連絡は取れるじゃん」

そんな考え方はあるものの、事情によっては簡単ではない場合もあります。

私は「ごちゃ混ぜ」になった感情に押しつぶされ、

大切な友人たちと連絡を取ることができませんでした。

そんなとき。

友人たちと再び繋がったきっかけが、

コロナ禍で生まれた、「リモート飲み」です。


きっかけは、突然に

「コロナ禍で、リモート飲みが流行っている」

そんなニュース映像を見た時、私は心の中で馬鹿にしました。

「いやいや、モニター越しで飲み会とか笑える」

「絶対つまらんだろう」

私には、理解できない。

そう思っていた、ある日。

友人から何気ないLINEが届きます。

「最近、リモート飲みが流行ってるらしいじゃん、ウケるよな」

私は、他愛無い話の中で、小馬鹿にしたつもりでそう伝えました。

しかし友人からの返事は、全く意図しないものだったのです。

「あーあれね。やってみる?」

え?

私は、困惑しました。

「三度の飯より飲み会好き」な私。

リモートとは言え、飲みのお誘い。

「やるか」

怖いもの見たさ半分、勢い半分。

そんなこんなで、私の人生初のリモート飲み会が決まりました。


二つ返事で集まった友人たち。

リモート飲みは、私を含めて五人。

私の人生における幸せの大半は、

彼らと過ごした時間に作られたと言っても過言ではありません。

一緒に音楽に明け暮れた、元バンドメンバーたちです。

「目の中に入れても痛くない」私の大切な友人たち。

恐る恐る連絡した私に、全員が二つ返事で参加を表明してくれました。

出会った頃は、大学生、専門学生。(私だけ社会人)

いまはみんな、子育てに奔走するお父さん、お母さんです。(私だけ独身)


ドキドキしながら始まった、リモート飲み会。

ちょっとだけ見栄を張って、高いお酒を用意しました。

スマートフォンの向こう側に映った光景は……。


幸せを映した、スマートフォン

どアップで映った、子どもの鼻の穴。

子育ての合間を縫って、友人たちはリモート飲み会に参加してくれました。

子どもたちの騒ぎ声が響き渡ります。

画面に映る、酒飲みおじさんに興味津々の子どもたち。

正直、飲み会どころの話ではありません。

でも。

私は、嬉しくてたまりませんでした。


「お父さん、お母さん、ちゃんとやってるんだなぁ」

騒ぎすぎた子どもを叱る一面も、画面に映りました。

親としての叱り方が、ちゃんとできています。


「幸せそうだなぁ」

私は思いました。嫉妬ではありません。

嘘のように透明な、ただただ「幸せ」な感情。


リモート飲み会を小馬鹿にしていた私は、考えを改めました。


こんなにも幸せな光景が、私の目の前にあっていいのだろうか。

大切な友人たちが、それぞれの場所で。

子どもたちに囲まれ、元気に生活している。笑っている。

もちろん、つらいことも大変なことも山ほどあるだろうけれど。

ほんの一瞬を切り取っただけだとしても、それでも。


私はただただ、幸せでした。

リモート飲み会だからこそ目にした、私にとっての「希望」の光景です。


変化に「適応」する人生

コロナ禍は、たくさんの悲しみを生みました。

大切な人を亡くされた方もいらっしゃるでしょう。

コロナウィルスに苦しんだ張本人もいらっしゃるかもしれません。

不景気で、職を失った方もいるかもしれません。

いまもなお、コロナ禍が原因のつらい経験をしている方も、きっといます。


だから「コロナ禍になって良かった」とは口が裂けても私は言えません。

思ってもいません。


しかし。

その中で生まれたものに、罪はありません。


苦しみの中で、その環境を変えようと絞り出した、人間の知恵。

環境に適応しようとした人々の工夫。


「変わっていく世の中に身を任せる」

「力強く、変化を捉えて生きていく」


「古き良き」も否定はしません。

しかし、変化を受け入れることも大切と言えるのかな、

と実感した出来事でした。


コロナ禍はたしかに、私の生活に打撃を与えました。

たくさんの人たちに、悲しみと苦しみを与えました。

しかし、コロナ禍が私と友人たちとの絆を繋ぎ直したことも事実。


この事実は、消えません。


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