春の夜長に想いを馳せる。
たまには、自分のためだけの記事を、
わがままに書こうと思った。
今日はそんな気持ちだ。
気まぐれで飽きっぽくて、
それでいて執着心の塊のような僕の。
ちっぽけな自己表現の場。
それだけがこの記事の存在意義である。
ちなみに僕が久々に、
自分勝手な記事を書こうと思い立った理由は、
定かではない。
心当たりといえば、
親族で二人。
ただ一度だが、酒を酌み交わした人が一人。
計三人の顔見知りが、
この一ヶ月ほどで往生したことが、
ほんの少しだけ関係しているかもしれない。
そのうち二人は、事故だった。
そのうちの一人は、
まだまだ現役の年齢だった。
ガハハ、と大きな口を開けて、
本人はもちろん、
周りの人も巻き込んで笑うような。
そんな男だった。
「老いた」
と言われるような年齢ではなかったはずなのに。
なんともあっけなく。
この世を去ってしまった。
どんな理由で何があろうとも。
往生したことに変わりはないし、
その事実が覆ることはない。
喪服に身を包み、
死に顔を見て、
その場で涙する人たちを見て。
僕は卑しくも、思った。
いつか僕も。
この顔を誰かに晒さなければならないのかと。
たいして僕のことを知りもしないやつが。
死ぬ間際まで、
見て見ぬふりをしていたようなやつが。
さもさも、
人の死を悼んでいる自分を、
周囲の人間に見せびらかすための道具のように、
僕の死に顔は晒され、使われるのか、と。
そんなことを僕は想像してしまった。
もういっそのこと。
これから出会う誰よりも長生きして、
どこかの山の中で、
ひっそりと土に還りたい。
そんなことを、思った次第だ。
まぁ。
無理なんだろうけど。
死してなお、
誰かの踏み台になれるのならば。
どこか僕の死も、
無駄じゃないように感じる自分もいたりして。
なんとも言えない気持ちだったりする。
……人はいつ往生するか分からない。
明日かもしれないし、
明後日かもしれない。
はたまた何十年後かもしれない。
そしてもしかしたら、
ほんの数分後。
数秒後かもしれない。
いずれにせよ僕らは。
この流れる時の最前線に存在することしかできない。
過去に戻ることも、
未来を知ることもできないのだ。
その中で。
何を思い、何を感じ、
そして何をして、
どう生きるかは、自由。
そんな世界で。
どのように生きるべきなのか。
僕らは、
ただただ自分の責任の範疇で、
この時の中でどう生きるかを選択し、
時の最前線に立ち続けるしかないのだ。
そしていつか来る、
その時をただ、待つ。
ネガティブではない。
あくまでも水平な目線で。
少なくとも僕は、
今できることの最善を尽くす。
そうありたい。
そんなことを思った、
春の夜長。
よしなに。
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