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時にはセンチメンタルに。

 昨日もいそいそと当たらない馬券をあれこれ買いながら競馬を楽しんでいた。

 15時1分。阪神の本日2つ目の特別戦の発走だ。「丹波特別」。・・・あれ?丹波特別ってこんな時期やったっけ?もっと寒い時期やったような。。。

 ・・・丹波特別。2005年のそれは、忘れられないレースの1つだ。昨年末、ホープフルSをダノンザキッドが勝利した時にも、そのことを鮮やかに思い出した。


 16年前のその日もオイラは阪神競馬場に出かけて、ライブで競馬を楽しんでいた。2月も終わりにさしかかっていて、もうすぐ3月という頃だったけども、朝から晴れていて気温は冷え込み、午後の、特別戦が始まる頃には時折小雪が舞うような空模様だった。

 9R丹波特別。芝1600m、1000万下のハンデ戦。当時はまだ阪神コース改修前で、芝外回りコースが無く、1コーナーポケットからのスタート。

 オイラはゲヴァルトという、SS産駒から馬券を買っていた。近走、逃げて良績を残している馬が1枠2番という好枠に入ったからだ。

 馬券の発売が締め切られ、スターターが旗を振って、ファンファーレが鳴り渡る。そして各馬のゲート入りが進んで、スタート間近というタイミングで、ゲート全体を揺らすほど暴れている馬がいる。ゲヴァルトだ。元々気性が悪く、3歳シーズンを終えてから去勢されて騙馬になった経緯がある。

 場内がどよめく。オイラも叫ぶ。「幹夫コラーちゃんとしろー」
・・・下品で申し訳ないが、当時競馬場にいるオッサンは皆こんな感じだった。

 ゲヴァルトの大暴れを失笑交じりでみていたのだが、間もなく、急に静かになった。静かになったというか、動かなくなった。ゲヴァルトは、ゲートの中でうずくまったような恰好になり、全く動かなくなった。

 他の馬は全てゲートから出されたが、ゲヴァルトだけは相変わらずゲートの中でうずくまって、黒っぽいかたまりのようになっている。しばらくすると、係員の皆さんが集まって、ゲヴァルトを引きずり出しだした。なんとかゲート後方まで引きずり出した後は、待ち構えていた馬運車に乗せたようだが、1コーナーポケット奥なので直接は見えず、ターフビジョンにも映されなかったので、どうやって動かない巨体を馬運車に乗せたのかはわからない。

 ところで、2005年はJRAのブランドCMに一青窈さんの歌が起用され、テレビ等でも年初から、名曲ハナミズキをBGMにして、競走馬とそれにまつわる人々との触れ合いを描きこんだ感動的なCMが放映されていた。
 「誕生編」~「デビュー編」~「G1編」~「ラストラン編」
ホント、これは優れたブランドCMだと思う。全4編、youtubeとかで探して全部観てほしい。

 さて、ゲヴァルトをゲートから引きずり出し、馬運車に乗せるという一連の作業に時間がかかっている間、間を持たせるためだったのか、場内ターフビジョンにこのCMの「誕生編」が映し出された。。。


 ・・・たった今、目の前で、ゲヴァルトにとても重大な事が起こったという事は、ギャンブル大好きどろどろオヤジにも容易にわかる。このタイミングで、よくこれを流そうと思ったなJRAの中の人。。。


 後のJRA発表によると、ゲヴァルトは暴れてゲートをくぐろうとして首の骨を折ったとの事。やはりゲートの中ですでに事切れていたのであろう。

 昨年末、ダノンザキッドがホープフルSを勝利した時、勝利ジョッキーインタビューで川田騎手が涙ながらに「師匠(安田隆行調教師)とともにやっとG1を取ることができてうれしかった」と言っていた。

 今をときめく川田騎手のデビューは2004年。デビュー年とその翌年の2年間は安田隆行厩舎に所属していた。そしてデビューした年に、特別戦初勝利を、安田隆師が管理していたゲヴァルトに騎乗して飾っていた。

 ゲヴァルトの最期のその日、川田騎手も阪神で騎乗していたが、馬運車で運び出されたゲヴァルトのもとに真っ先に駆けつけてきたとのこと。そして、関係者から渡されたゼッケンを持ち帰って、泣き崩れていたらしい。

 川田騎手は10年ほど前のインタビューで、思い出の馬を聞かれてゲヴァルトの名をあげている。

 川田騎手。クールな感じがして、とっつきにくい印象を持たれることも多いが、とても熱い漢である。


 ゲヴァルトに、そしてその命を競馬に託してくれた全ての馬たちに、合掌。


 今週の馬券予想はお休みします。

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