成功に導く、最強の引き寄せ力~【不器用リッチ 50の法則】④【まかないこすめ】が生まれるターニングポイント

~28歳で創業し、49歳で会社を売却、52歳でコロナ禍のなかロンドンで新たな挑戦をする女性起業家の行動~

なぜ和コスメブランド【まかないこすめ】に移行していったのか?

これまで、【まかないこすめ】という和コスメブランドを創業するまでに、金箔の副産物である“あぶらとり紙”や“一般消費者向けの食用金箔”のお話をしてきました。
そこからなぜ和コスメブランドの【まかないこすめ】に移行していったか疑問を持つ方もいらっしゃるかもしれません。
 

当初の販路は、

あぶらとり紙の販路はバラエティストアやドラッグストアでした。あぶらとり紙は1年中販売しているとはいえ、春夏が一番売れる季節商品。
そんなことも分からず、とにかく販路を広げるため、全国にたくさんの店舗展開をしているような大手ドラッグストアチェーンへの営業をしていました。

地獄はその後から。

最初はたくさんの注文が入ってきて、大喜びでしたが、地獄はその後からでした。
ドラッグストアというのは、たくさんの商品が毎日のように入れ替わり立ち替わり入荷します。つまり季節の変わり目には一斉にそのシーズンの商品は返品されるということです。

私はバラエティに富んだあぶらとり紙を次々に世の中に出していき、販路も拡大できましたが、春夏のシーズンが終わった秋には汚れた状態でそれらのあぶらとり紙がドカーンと返品されてきて、初めてその恐ろしさを知ったのでした。それは、一旦入金された代金から返品分をお返ししなければいけないことを意味します。その当時はあぶらとり紙しか商品がなく、他の商品の売上がないので相殺することもできず、計画していた資金繰りも一切アテにできなくなっていたのでした。

先の見込みが立てられない時に…。

このままの状態では先の見込みが立てられないという時に、巨大なチェーン店に卸売りするビジネスだけでは続けていくのは難しい、販路を大きく広げ過ぎずもっと丁寧に自分の声を届けられるようなやり方が私には向いているということを悟ったのでした。
その時には、すでにまかないこすめの構想があったわけですが、今までのルートを断ち切り、商品化しても、新たな販路が見つからるか分からない状況ではなかなか厳しいと躊躇していました。商品化が先か、販路を見つけるのが先か…。営業するには商品がないと話にならないし、商品ラインナップを揃えるには資金が多くかかりすぎる…。そんな状況が2年ほど続いた時、日本橋三越本店からお声がかかったのです。

三越のバイヤーさんの一言から。

あぶらとり紙を少し卸していた関係で知り合ったバイヤーさんでしたが、「何か新しい商品があれば三越でトライしてみませんか?」というありがたいお言葉でした。

すぐさま「ちょうど進めていたプロジェクトがあります!」と返事をしたのですが、実はその時はまだ、頭にぼんやりとした構想だけで、何も形になるものはありませんでした。
 
それでもいただいた絶好のチャンスを生かさない手はありません。
私は、「すぐに企画書をお出しします!」とお伝えした後、ほとんど深夜まで企画書とイメージデザインをつくり1週間後にお持ちし、修正を加えながらご了承をいただいたのでした。社員がまだ1名しかいなかったなか、その後は、元々母たちがつくったレシピを基に必死で自分の足でOEM先を探し、手先が不器用ながら自分でパッケージデザインもし、それを基にスタッフに試作品をつくってもらい、わずか3か月後に日本橋三越本店で【まかないこすめ】をお披露目することができたのでした。

 

チャンスの女神には前髪しかない。

 
もう後がないその時に編み出したのが、こんにゃくスポンジや和紙タオル、米ぬか袋など、今でも国内外で大人気の商品です。

後に考えると、ここが私のターニングポイントでした。バイヤーさんにお約束した時点では何もできていませんでしたが、最後に帳尻を合わせられれば、うそにはならないことが自分のなかで確信になりました。

【不器用リッチ 50の法則】
女神には前髪しかありません。チャンスは過ぎ去ってから気づいても間に合いません。その時完璧でなくてもYesと言いましょう。帳尻を合わせられればそれでよいのです。

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