夜糞峰榛~冬桜~

今年は散った

冬に咲く桜、夜糞峰榛。別称は梓、または水目桜。汎称は冬桜。桜を称するカバノキ科。されど、冠たる美しさがある。山地に自生して花見の客は土着人だけ、独特の匂いがして、刻刻の葉は触れると怪我をしそうだ。

夙に、僕はその姿を見たことがないけれど、断片だけは所有している。
愛用のギター(Headway HD-Fuyuzakura'19/ATB)のバックとサイドの木材に宛てられ、振動を伝えてくれる。これまた愛用の回転式ボールペンの外軸にはふんだんに冬桜の木材が使われ、いつでも情感・思考を斡旋してくれる。つまり、生活の基礎から離れたところの僕に寄り添ってくれるのは決まって冬桜なのだ。
凍てつくように魅了される。

桜の花言葉は「優雅な女性」。さりとて、桜ではないのだから優雅でもなければ女性でもないのかもしれない。それでも、ギターのボディシェイブが辿る流線型と冬桜の白い輝きが相まって、どことなく女性の曲線美を連想させる。当たる光の角度によっては内に秘めた「黒き美」を見せ、時には散った後の蒼翠を見せる。
やはり優雅には遠い。それでも「冷ややかで華美な女性」。
理想の女性だ。重なった。
僕が陶酔するのはこれだけではない。到底手に入らないはずの要素とは逆に、切っても切れない親近感がある。「きな臭い」「胡散臭い」「天邪鬼」「トゲトゲしい」「滅多にお目にかかったことがない」これらは僕が常々被弾する言葉だけれど、その気になれば冬桜にも言い放つことができそうだ。
わざわざ限り限りのところで咲き誇って、桜を詐称し、華やかな春に悖る。常套句を嫌って、独り斜に構えて「一般的な桜とは一味違うぞ」と豪語するように時期をずらす。その心意気は、偏屈者で朴念仁の僕とそっくりだ。

垂涎の冬桜と親近の冬桜。重なった。また重なった。
一本の冬桜になった気がする。死体を冬桜の下に埋めてから話を進めよう。

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