燃ゆってな

推しが欲しくなって
桜が散ってから自分を推すことにした


知らなかったけど、皆んなには推しがいるみたい。
仮に「桜を推すことにした」と聞いて「そういうことではないだろう」なんて、そういうことではないのだけれど、「推し」の定義が僕には難解で、随分と呻吟した挙げ句のこと。
「推し」とは、自分の時間や財、労力を以て第一義の集団や個人を応援するもの。宗教に近い。何かを応援したり信仰する、広く、熱狂することは心の支えになってくれる。であるからして生きがいになる。その上、「この人を推している」と言えば、自分の好みやセンスを紹介できるし、推していることでその対象との同一性をも自らに齎してくれる。だから、綺麗なモノが推され易い。

そんな生きがいが欲しいし、熱狂したい。
なのに僕は、自分や、自分が置かれた環境、身の回りの人達に強くベクトルが向かってしまう。向こうから作用してこないモノに注意できない。
存外、自分自身や持ち物、知り合いを誇りに思っている故、自過剰であり狭い範囲で他過剰(?)でもあるのだけれど、、、
取り急ぎ、桜を推しておくことにした。自分を推すか迷ったのだけれど、だって、桜は綺麗だし。そのうち散ってくれるし。熱狂しやすい。
そう思って1日2日過ごしてみたけれど、案の定ダメだった。


残念ながら僕は自分しか推せない。キレイじゃないけど熱狂したい。とっくの前に散ったと思っていたけれど、来年もまた咲けるのか、一縷の望みくらい持っていよう。

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