衝撃‼ドラえもんのどこでもドア

こんにちは 哲学とノートで未来を切り開く さくらです。

飲茶さんの『哲学的な何か、あと科学とか』を読んで、衝撃を受けました

どんな話かというと、ドラえもんのどこでもドア、こんな仕組みだったら、、という話。

どこでもドアに入ると、人の分子情報をすべてスキャンして
出たい場所に情報が送られて
向こうのどこでもドアで、人の分子構造が瞬間的に再現されて人が出ていく。。

問題は、入った人が分子構造をスキャンされた後どうなるかということ。
分子破壊光線で一瞬でコナゴナに、、ということで。。

このどこでもドア、入りたいですか?

・・・

私は入りたくないです💦
だって分子破壊光線で一瞬でコナゴナになるんでしょ。
別の場所で私の分子構造再現されても、うーん、別人としか思えない。

そう。この本で取り上げられているのは、物理的に分子構造を完璧に再現したものは「私」と言えるかどうか。

「私」とは何か。

「私」とは分子構造で再現できるのか?

でも、「私」の分子構造は時々刻々変わっていっているし。

新陳代謝で細胞が入れ替わったら私は別人?でもないし。。


どこでもドアを科学的に考えると、非常に怖かったのですが、「私」を考える非常に良い題材だなぁと思いました(*‘ω‘ *)

仏教では「無我」

固定不変の我は無い。心も体も時々刻々変わり続けながら続いている生命。
人間って深いですね。

うん、やっぱりこんなどこでもドアには入りたくない。

私の分子をバラバラにして再生するのではなくて、時空のゆがみからどこでもドア、とかなら入るかなぁ。いずれにしても一寸先は闇、ですね🌸

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