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「あの時は、ありがとね~父のこと~」

父は、私の娘が2歳になる年に68歳で亡くなった。
 
脳梗塞から寝たきり状態を2年近くしていて、入退院を繰り返していたのだけど「特に問題はないから」と言われて退院した翌朝、自宅のベッドで。
死因は「肺炎」。今ならあれは「誤嚥性肺炎」だよなあと思えるけど、当時は雨に濡れたわけでもないのに何故肺炎? と疑問に思ってしまったほど知識が無かった。口腔ケアなどはほとんどしていなかったので、口の中には相当の細菌があったからだろう…と今ならわかる。
 
葬儀が済んでしばらくした頃。
実家の裏にマンションが建つという計画が出て、トラックの出入りスペース確保という理由で立ち退くことになった。家はかなり古かったので丁度いいタイミングだったものの、立退料の額や移転までの期間が短かったため新しい家を吟味している余裕がなく、移転先は横須賀市で「限界集落」といわれるような、家まで行くのに階段しかない山の途中にある場所になった。
 
その家にはすぐにこじんまりとした仏壇が設けられていたけれど、急いで申し込んだ市営墓地の当選通知が来るまで、遺骨は葬儀を挙げたお寺で預かってもらっていた。
 
私は仕事の合間に引っ越しの手伝いや片付けを手伝った。新しい実家へは車で行けないので、下の駐車場へ車を停める。そこから正規の階段ルートで行くと、グルッと遠回りになるのを知っているお隣さんが「うちの階段を使っていいわよ」と、私有地で近道になる階段を通っていいと言ってくださった。そこを使うと数分の時間短縮になるものの、手すりもなくハイキングコースにあるような、ところどころ土がせり出していて段差が不規則で、足元がおぼつかなくなるような階段だったけれど、ありがたく時々使わせてもらっていた。
 
引っ越しの荷物があらかた片付いた頃、市営墓地に当選。墓石も建立して無事に納骨を済ませた数日後、私は処分する重い荷物を両手に持ちながらその近道階段を下りていた。
 
歩きながら「お父さんの魂は、まだ前の家やお寺にいたままだったりしないかな? こっちの家に来てる? 自分のお骨がお墓に入ったこともわかってるのかなあ?」などと、仕事で寝不足のボーッとした頭で考えていた、そのとき。
 
石のない土の階段部分に着地して軽く滑ってしまい、体のバランスが崩れた。よろめいて体が前のめりになって、このままでは3メートルほど下の歩道に顔から落ちてしまう! という恐怖に襲われた。
 
しかし…私は転落しなかった。
 
すっかり寒い季節だったのに生暖かい強風が下から吹きあがってきて、その風が傾いた私の体を元の位置に戻してくれたのだった。
 
咄嗟に私は「この風はお父さんだ! お父さんが助けてくれた!」と感じた。そして「ああ、お母さんと一緒にこっちの家に来ていたんだね。亡くなる前の数年間は寝たきりになって『せん妄』とかもあったけど、もう元気だった頃に戻っているんだ?」と自然と思えて、少し涙が出た。
 
元気だった頃、出かける前には自分で服にアイロンをかけたり靴を磨いたり、外見にすごく気を使っていた父。亡くなったあとはお墓の周りに雑草が生えてくると、掃除をやりに来いと言わんばかりに、私の夢の中にちょこっと登場する。そんな時はお墓参りをしてキレイに雑草を抜いて、ついでに(私の仕事が無事に終わるように)とか、家族の健康も頼んでくるようにしている。
 
いつか、あちらの世界で再会したとき、まずは助けてくれたお礼を言おう。
「あの時は、ありがとね」と。
 

この時の父は39歳。今見ると老けてるなあ…おでこのシワとか。

※この文章は「第三回 墓デミー賞」に応募して選外となったため、供養の意味も込めて掲載します。


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