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"型"が人を殺すと思った


どっかの偉い哲学者が言ったそうだ。


教育の目的は、性格の形成にある。



この理屈で言うと、


性格が既にできている人

完成されている人には


教育はいらないということになるのだろうか。



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過激なタイトルで失礼致しました。


どうも、たちばなです。


なんだか今日も寒いですね。


そろそろ、マフラーに顔を埋めるおなごが増える時期ですね。むふふ


ところで


最近僕の本名を知ってしまった方が増えてきて


たちばなと名乗る事にどうも違和感が出てきたのですが


何はともあれ、たちばなです。





今回は、僕が最近感じた違和感について


モヤモヤしてしまって、どうしようもないので


三角フラスコの中に溜まった廃液を

このnoteという場所でぶちまけたいと思います。


別にそんな、たいそうな話じゃないです笑


ただ、好きな物が変わるのは悲しいよねって話です。


本題に入る前に
僕の好きなアーティストの話をします。




僕はONE OK ROCK(通称:ワンオク)というバンドが好きでした。


あの洋楽かぶれ感が強くてギラギラしていた、当時のワンオクが好きでした。


中学三年生の時に遅めの声変わりで


女みたいな声といじられていた僕の声も


それなりに低くなり


ワンオクの曲が歌えなくなっても、


それでもずっと好きでした。


最高にクールだった。

でも、バンドも生き物なので当然変化をしだします。


そんな当然なことも当時の僕は分かりませんでした。


ファンとしては喜ばしいことに、


ワンオクは世界に進出しはじめてツアーを敢行し、


世界のワンオッケーロックになって行きました。


その頃から方向性をPUNK ROCK から POPよりにシフトしていき、


YouTubeのコメント欄では

「これだとONE OK ROCKじゃなくてONE OK POPじゃねぇか、HAHAHA」


と外国人が嘲笑っていました。


勿論、本人たちが望んで


変化していった。


成長していった。



その結果です。


ただ、僕は嫌だなぁと思った。

悲しいなぁと思った。


それだけの話です。


今回の話もこれに近いかもしれません。



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Twitter界では、去年から今年の初め辺りまで


フォロワー数を増やすことがまるで正義であるかのように


1部の人達が躍起になってTwitterを頑張ってみたり、Twitter攻略NOTEを売ってみたりしていました。


今でも、1部の1部に未だそういう動きもありますが、その当時ほど激しくない印象です。


企業が組織としてTwitterを運用し、楽しみながら、販売プロモーションとしても広報としてもブランディングとしてもTwitterを使用している。


そんな健全な流れにシフトした気がします。

(ただ、単に僕がネットビジネス界隈から足を洗ったからかもしれませんが)


その当時、


ある事をみんな口を揃えて言っていました。


型にはめろ。


発信にも型がある。


反応が取れやすい構文がある。


だから型にはめろという事です。



これはある意味で正しい。


何のスキルもないのに内定を辞退してTwitterを始めたようなただのアホは、そもそも発信という長い道を乗り越える為の自転車の漕ぎ方を知りませんでした。


Twitterというアプリを開く度にある人とある人が罵りあっているような荒波の世界を溺れずに巻き込まれずに進むための、泳ぎ方を知りませんでした。


だから、型という補助輪が必要だったし
型という浮き輪が必要だった。


そうなんです、まだ何者でもない僕みたいな人間には


型というのは必要。


、、、


でも既に、リアルで結果を出していて発信にも味がある人に補助輪は必要なのか


果たして、それはその人の


魅力を


個性を


人を



殺していないか。


足枷になってはいないか。


と思ったのです。



前段で話した、アーティストの件と同じで本人が変わりたいと思っていてその方向に進むなら外野が口出しする必要は無いのかなと思います。


ただ、


そうは言っても、



僕はその人の魅力に気づいていて、


結果を出す為には魅力を一時的にでも殺す必要があって、


そこまでして手に入れたい結果ってなんだろう。


みたいな風にお節介にも考えてしまうのです。



先日、上司に言われました。



「お前はすぐ、フレームワークを使いたがる。フレームワークを使うこと自体は悪いことじゃないけど、それぞれのフレームワークには使い時がある。それを意識せずに、理解せずに、ただフレームワークを使っても時間だけが過ぎて普通の案が出てくるだけだぞ。お前は普通になりたいのか?違うだろ。少しは自分の頭で考えろ」


多少、脚色はしましたがニュアンスはこんな感じだったと思います。


(キャリさん、違ったら後で教えてください……💦)



僕は今、SNSを基軸にした経営コンサルティングみたいな事をやってたりやってなかったり


何やってるの?


って聞かれても回答に困る会社で働かせていただいております。


こんなこと言ったらまた後で上司に激詰めして頂けるですが


分かりやすく言うと


なにかお困り事(経営課題)をお持ちの経営者様に対して自分たちが持ちうる武器で解決策を提案する


みたいなのが仕事です。



その中の一つの武器に


新時代のメディアと呼ばれるSNSがあるというイメージです。


いきなりなんの宣伝だって感じだと思うんですけど


僕としては言いたいことはブレてなくて


僕も経営者様とお仕事をさせて頂く機会があった時に


SNSに関しては、僕の方がプロフェッショナルなるなるなので、、、(震え)


大変恐縮ながら、色々意見をさせていただくのですが



僕の悪い癖として、



責任を自分が被りたくないという逃げの思いから


必要以上に型に当てはめてしまうという事がありました。



少し考えればわかる話なのですが、相手はベンチャーでヒィヒィ言ってる何者でもない僕と違って



企業という組織の経営者様です。


顕在化した魅力が山ほどあります。


ただ、SNSというものを少しだけ知った若造が偉そうにその人の魅力を型に当てがった。



その人の魅力を最大化させながら結果を出す方法を考えずに



それは違うだろ。。。

って読んでくださってる方も思いますよね?


そうなんですよ。違うんですよ。


ただ、考えるのがめんどくさかっただけですし


責任を取るのがめんどくさかっただけだった


でも、それは違うだろと上司に教えて頂きました。


勿論、型も重要だけど


魅力が溢れてる人にはその魅力に合わせた方法を考えないと何の意味も無いよなと。


……


……


……


そうそう、結局何の話かって言うと。


みんな、魅力があるので変に型にハマる必要ないよって話です。


型にハマって、魅力を留めながら


「この人も普通の人か……」


って思われたら、あなたの魅力を知ってる僕が悔しい。


だから嫌だ。


結果を出す為だとしても型にあてがうのは嫌。



というすごいわがままな話。


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