蒼天に鳩を放て!-哭く生霊④-
その後も、山口はたびたび我が家にやって来た。
そしてその度、
「私は、私が視ているものが神様だと信じます。」
と繰り返す。
別に私は、山口が何を視ていようが構わない。
スピリチュアル界隈では、「何と繋がっている霊能者なのか」が話題になりがちだ。
しかし、そんな議論するだけ無駄である。
なぜなら、何と繋がる自分であるかは霊能者自身の問題だからだ。
今の自分に、何が出来るのか。
これから先の未来で、どんな自分でありたいのか。
思い描く未来像を目指し、いま対峙するモノをどう判断しどう対応するか。
大事なのは、何と繋がるかではなく何を選択するかだと私は思っている。
けれど、私も霊能者の端くれだ。
自分の目に疑問符を投げかけられた時、「何と繋がっているか」にしがみ付きたくなる気持ちも分からないではない。
私達とて人間なのだ。
不安や恐れから、心乱すこともある。
(それにしても、論点がズレてんだよなぁ。)
話を聞く限り、山口は五芒星巡りに間違いがないと信じたいのだろう。
いわんやそれは、五芒星巡りを教えてくれた存在が神仏だと信じたいという思いに端を欲している。
その思いに共感は出来る。
神と魔物を視間違えるなど、私でもぞっとするからだ。
ただ、信じたいものを信じる。
巫がこのスタンスを取るのは非常に不味い。
信じたいものを神としてしまえば、魔物も幽霊も神に仕立て上げられてしまう。
そして、その甘さが隙を生み、悪しきモノのつけ入る余白を生んでしまう。
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