20140329、その1
最初に見たのは多分2008~9年頃、まだ前のコンビを組んでいた頃だと思う。
いつも行くライブによく出ていて、ガツンと心奪われるほどではなかったけれど、
それでも毎月、アンケート兼出番表に名前があれば楽しみにしてるくらいには
好きだった。
ミナミのど真ん中、ジュンク堂千日前店の上にワッハ上方という施設があって、
今は資料室だけになってしまったけれど、ビル開業当時は7Fレッスンルームと
4F上方亭という2つのレンタルスペースがあった。
市の施設なので借り賃が安く、養成所を卒業して劇場オーディションに挑む
若手達の大半は、ここを借りては自主ライブを催して腕を磨き、そんな自主ライブに
沢山出ることで自分の出番を月に何本も作っていた。
場所代を演者で均等に割って負担することで、一見さんに「無料なので
時間があればお願いします」と呼び込んでは見て貰う機会を積極的に増やしていた。
市長がかわって資料館以外が廃止されるまで10年ほど、若手の実験の場として機能していた。
2012年12月末をもって、NSC25期までの芸歴のものは劇場レギュラー/オーディション組
ともに劇場を卒業という扱いになることが発表された。
劇場レギュラーを賭けたオーディションは、月に一度のエントリー日に事務所で並んで
料金を払えば一般からでもチャレンジできたのだけど、その道もたたれてしまった。
挑戦権さえあれば、頑張ることは出来る。でもそもそもうけることすら出来なければ、
上がり目がない。
活動していく中で、節目は多分、3回有る。
「芸歴10年目」・「30歳」・「劇場がなくなるorオーディションが受けられなくなる」
人によっては、これが一気に同じ年に重なる。
それでもその人は、10年目・30歳の時にはオーディションには挑めたから、
辞めずに踏ん張っていた。
2013年末、次は26期まで卒業かと思ったら28期まで一気に卒業扱いにされて、
進路を絶たれた人がさらに増えた。
その人は、2013年7月に解散していたけれど、相方が26期なので、続けていたとしても
秋に28期までの卒業が発表されてオーディションは受けられなくなる。
遅かれ早かれ解散していたかもしれない。
11月の終わりに、彼はこんなことを呟いた。
「もうオーディションも出れない、お金にならないインディーズの芸人ごっこなど辞めて、
実家に帰るべきなんでしょうね」
これを見たとき、心が張り裂けそうになった。
ワッハ消滅以降、おそらく皆さんが抱えている不安を、
ザ・ラングレーズ齋藤さんは、明確に考え出してしまった。
23期。10年以上。30歳オーバー。
いろんな節目の三重奏。
きっかけとしては十分だ。
それでも、お笑いするの楽しい!ってツイートしてたから、
まだ頑張ってくれると思ってた。
思ってたのに。
色々考えて、帰省して、出した結論がこれだった。
https://twitter.com/the_lgs/status/420476625340207104
悲しかったし寂しかった。
青森に帰ることを決断してしまった。
やっと、声をかけられるようになったのにな。
まだまだいっぱい話したいことがあったのに。
多分2012年冬頃、出演者数がいつも足りない「寿(ことぶき)」というライブがあって、
相方のさとぅー全回転氏がよそのライブに出たときに、エンディングの
舞台告知の場を借りて他の出演者を誘ってたくらい出演者が足りていなかった。
なもんで、寿の開場前にラングレーズの2人に会うと、今日は出てくれる人集まった?って
聞いたりしてた。
「笑援隊(しょうえんたい)」というライブでは、齋藤さんのバイト先の地名が出て、案外近所だったので
終演後にちらっと声をかけにいったけど、イマイチ反応がよろしくなくてそっけなかったので、
私とはあまり話したくなかったかな、とそれ以降は積極的に話しかけに行くことが出来なかった。
それでも、ライブ前に遭遇したらご挨拶くらいはしていて、いつかちゃんと話したいなあと思っていた。
なのに。
私はこの引退ツイートを見たとき、なじみの飲み屋のカウンターで飲んでいた。
「えっ、えっ、本当に?」
それだけ返すのが精一杯で、あまりに泣きそうになってるから大将が
どうしたの?って聞いてくれたほどだった。
手紙書いてタバコ渡そうっておもって、銘柄教えてくださいねってすぐDMしたら、
見に来てくれるだけでいいですよって朝に返事が返ってきてた。
ずっと足跡つけてもじもじしてたmixiもこのタイミングで申請したら、
「実は待ってました(笑)」ってすぐ承認してくれた。
もー。言えよw!
出番に足を運んで、直接お話ししてみると、あのときのそっけなさはなんだったのって
くらい楽しかった。
mixiの足跡つけてたのなんて、もう何年も前で、話しかけに行くずっと前だということに
気がついて、あれ?いつ頃からわたしのことを知っててくれてたのです?と聞いてみたら、
それ5~6年前ですよねっていう答えがかえってきた。
人見知りがすぎて、自分からは声をかけなかったけどなんてことだったらしい。
じゃあなんで話しかけたときに、それっぽい反応じゃなかったんだよ…。
相手から話しかけてきたら、よし!ってなるんじゃないのか。
なんて不思議がっていたら、「佐野くんの専属のお客さんだと思ったんで、
声かけられなかったですよ、あきらめてました」って予想外の答えがかえってきた。
そりゃ、私は、シーチキン佐野さんっていう人の出番をずっと追って見てきたけど。
あなたたちだけを目当てにライブに行ったり、手売りチケットを買ったこともなかったけれど。
アンケートには毎回きっちり感想を書いていたし、覚えてる限りけなしたこともなかった
くらいにはネタを見るのが好きだったんだけど。
あきらめてましたってなんだよ、学生の片思いじゃないんだから。
何年ももじもじしないでよ…(涙)。
水くさいよバカ。
タチアキさんが来なかったらできなかった寿もあったから、助かりましたよとか。
じっくりしゃべってみたかったし、3月までは居るし、って言ってくれて。
なかなか大阪なんて、来る機会なくなるだろうけど、でも、死なないからまた会えますよって
言ってくれたから、さようならとは言わないでおく。
お笑いやるの楽しいって書いてた人が、お笑いをあきらめる決断をするのは
寂しい。
10年目にさしかかる頃にも、考えたことあっただろうにね。
それでも踏ん張った人は、続けてくれると思ってたんだ。
なんだかんだでよく見る機会があった人だから、沢山楽しませて貰ったよ
ありがとうって、思いながらこの3ヶ月見に行ってた。
今までの6年ほどを埋めるには3ヶ月じゃ、あまりにも足りないけれども。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?