忘れられない手紙の話

90年代のおわり、お笑い友達の本田ちゃん(仮名)が「最近、野性爆弾から手売り買って見に行ってみたらオモロかってさ〜みんなで今度いこ」と、当時のお笑い追っかけ仲間たちに話したことがきっかけで、大阪NSC13期大集合の「圧力団体」に行くことになった。
当時は、なんば高島屋前やひっかけ橋に行けば誰かがノルマの手売りチケットを捌くために頑張っていて、思いつきで寄ると大抵誰かがいたものだった。

予定都合のついたメンバーで見に行ってみたら、NGKスタジオはそこそこ混んでいて、各コンビにはそれなりに固定ファンがついていた。
私がその日いいなぁ、と思ったのはミシマフジイ。
終演後にみんなで出待ちして、それぞれのお気に入りコンビに簡単に感想を告げて帰ってきた。

当時はインターネットも発達しておらず、劇場の公式HPもないような有様で、ましてや芸人さん側が個人でなにか発信するようなツールは皆無だった。
いいなと思うコンビを見つけた時、出番を追うのは出待ちで直接本人に尋ねるくらいしかなく、劇場レギュラー以外のオーディション組なんてのは特に、毎週行われる入れ替え戦の結果でコロコロ変わっていた。
出番を見られないのに出待ちだけ行くというやつは、お行儀のいいものでは無いのだけれど、この時代ばかりはそうでもして捕まえないと僅かな出番すら逃してしまうわけで、申し訳ない気持ちを抱えつつも、バイト上がり即ダッシュで二丁目劇場下へ駆け込んだものでした(先方もそれはわかっているので、汲み取ってくれた上で対応してくれた)。

ネタを見ると必ず感想の手紙を書いて、次回の出待ちで手渡した。
返事を書く書かないは本人の自由だと今でも思っているけど、大抵の人は「忙しく無い若手ですから」と言いながら1週間後くらいに届くペースで返してくれていた。
ミシマフジイを追っかけて1年半ほどたった頃だろうか、珍しく返事が来なかったことがあった。
まあ、11月だしオールザッツの手見せだとか年末年始のあれこれだとか、恐らく慌ただしい時期だったのだろうなと、特に気にしてはいなかった。
その年の年末、手見せに通っていた彼らをオールザッツで無事見ることが出来、年が明けた。

年明け三が日の中で劇場出番‪があるというのは、ファンにとっては嬉しいものだと思う。
特に、売れてる劇場メンバーという訳ではない層だと、ブッキングされてるのは珍しいのでは無いかと思う。
年明けの神戸海岸通り劇場スケジュールに名前を見つけたので、バイト先に休みを申請してみたら、通らなかった。
普段、お盆時期も年末年始も、ずっとずっと希望休を出さずにいた私が、ほぼ初めて希望休を出した。
かなり粘ったけどダメだった。
ビジネス街の駅ビルの本屋で、周りの学校も会社も休みでそんなに混まない店舗にもかかわらず、休みは確保できず半ば泣きながら仕事をする羽目になった。
ヘルプで入ってくれた雑誌担当のホリウチさんが、お笑いも多少わかるお兄さんだったので、「ああ、それは辛いねえ」と話を聞いてくれた。

しばらくして、追っかけ仲間の野性爆弾ファン・ユキちゃんからポケベルが入ってた。
「シキュウレンラククダサイ」
まだ固定電話からかけ直すような時代だったので、自宅から彼女の携帯に電話したら。
「ミシマフジイが解散したって…!今日たまたま野爆に会えて、そこで聞いたんですけど、タチアキさんフジイさんからなんか聞いてますか?!」
聞いてないよ、聞いてないよ、ネットもない時代に、出待ちで話す機会がない年明けに聞く手段なんかあるわけないよ。
取り急ぎ伝えなきゃと思ったから、と言ってくれた彼女にお礼を言って、電話を切った後、でもな、まだ本人から聞いてないからな、となんとかざわざわを抑えて数日過ごした。

ほどなくして、保留になってた手紙の返事が届いた。
解散したこと、年明けの神戸の出番が最後だったこと、お金を貯めて東京に行くこと。
ひとまず東京吉本ですが、やめませんという返事だった。
報告するために手紙の返事を出す時期をはかって保留にしていたという。
読み終わって、声をあげて泣いた。
劇場からの発表も特にないようなオーディション組の行く末なんて、インターネットがほぼなかった頃には知る由もなかったこと。
事後報告とはいえ、本人から報告してもらえるのは幸せなことなのだ。
引退ではない。けど。
ほぼ皆勤賞のペースで新ネタ&ありネタを見てきた。
ラジオの生放送のサテスタ現場にも、営業現場にも行ったりした。
もうこの人の作品を生で、頻繁に見ることはできないのだ。
そう思うとちょっと悔しくて悲しくて、どうしたらいいかわからなかった。

私は今でも、この正月休みが取れなかったことを後悔している。
上京後のオーディションライブは2回行けたし、今のコンビになってからの単独も2回とも行けたけれど…。
それでもやっぱり、20年以上たっても悲しくて悔しくて、忘れられないのです。

21世紀になっても、春に推しが上京する報告を受けると、思い出してしまう昔話。

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