Shadow Worldに関する話の続きと、現代の日本の抱える問題と


これ自体に関してほとんど話ができなかった。

ニュース映像や音声とインタビューの組み合わせでできたドキュメンタリーで、「学校では教えてくれない大戦以降の歴史」を語っている。

一番印象だったのは、冒頭のセグメント。

セグメントは第一次大戦の描写から始まる。

兵士たちは塹壕を掘りその中で自らの排泄物にまみれながら殺し合いを続けていた。

それがクリスマスの日、だかクリスマスイブの日だか。

向こう側の塹壕でドイツ兵たちが、クリスマスツリーを立てはじめる。

そしてしばらくすると、サイレント・ナイトの歌声が流れてくる。

やがてこちら側の塹壕から、2人の兵士が出て行く。

誰もが、彼らが今にも撃ち殺されると思って息をひそめていた。

しかし二時間後、彼らは一緒に笑っていた。

それを見て、皆が塹壕から出てきた。

何千、何万という兵士たちが、出て来て、笑いあって、抱き合った。


バタバタしていてその続きがちゃんと見れなかった。
将校たちが……恐れ……撃った…というような断片が聞こえたような気もする。


要するに、我々は好きで殺し合いをしているわけではない、という事を言いたいのだろう。作品は第二次大戦以降のこの世界における殺し合いがいかに、一部の人間の利益のために仕組まれたものであるかを追ったものだと言える。

70-80年代のアメリカで、CIA等の議会に制御できない機関を通して、莫大な予算や兵力が、議会の承認しない戦争を仕掛けるために使われている事に気付いた議会が抵抗をはじめ、彼らとエグゼキュティブ・ブランチに独裁的権力を握らせて議会の干渉を受けまいとする勢力の攻防の有様が描かれているが、そのとき後者が取ったとされる対策には、日本の現政権のやり方と重なるものが少なくなかった。半世紀遅れで模倣しているのだろうか。


ここ数年で、「反安倍」勢力は特にツイッターを中心に増えたと思う。
しかし、「反安倍」勢力は、問題の元凶が安倍政権であり、安倍政権的なものの排除を求めている。

一方わたしは、安倍政権は日本の様々なシステムが腐敗しきって自浄作用を致命的に失った結果の末期症状として誕生し、排除されずにいると考えている。だから安倍政権の排除は、治療の第一段階として必須だとしても、それだけでは一時的な対処療法にしかならないと考えている。

問題は銀行であり金融システムでありその規制機関であり、インフラを管理する巨大企業であり、教育システムとその予算配分のシステムであり、監視の在り方であり、国民全体の認識であり、そういう諸々であって、そういう諸々の問題性にも問題が生じた原因にも今後の改善にも、ネトウヨとかオタクとかはほとんど何の関係もない。そこと喧嘩しても全くしょうがない。というのがわたしの考えだ。

これは差別を看過しろと言っているのではない。外国人や女性に対する憎悪を撒き散らすような行為には誰かが断固とした否定を示さなければならない。ただ、それと安倍政権や日本国家の腐敗の責任は別の問題なのだ。いくら差別するからって、国が腐った責任まで彼らになすりつけて、彼らをどれだけシバキ上げても、日本が抱える問題はちょっとも改善しないどころか、むしろ、悪くなる。(言うまでもないが、自分の責任でない事までなすりつけられてシバキ上げられれば当然誰だって反感を抱くからだ)

むしろ「だからこそ」、リベラルとネトウヨの対立が煽られているのだろう。

ネトウヨをどれだけ攻撃されたって、安倍政権は痛くも痒くもない。彼らが大事にしているのは東電や日立や東芝の経営陣である。だからこそ、ネトウヨっぽい誰かにより理不尽でより厚顔無恥で過激な事を言わせる。簡単なお仕事である。




殺し合いをしてる同士に、自分たちは同じ祭りの平和で幸福な記憶を共有する人間同士だと思い出させてくれるのだから、クリスマスもそうそうバカにしてはいられない。

汝の敵を愛せない人にも、良いクリスマスを。


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