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エレファント・マン 初日感想(10/31追記)

 もう2日目の公演が始まろうという数時間前なのですが、やはり初日に思ったことを残しておきたくて慌ててスマホを開いています。そのため以下かなり殴り書きに近いです。今度見たら「違う!!」ってキレるかもしれない、わたしがわたしに。
 とはいえ、そのキレるのもまた醍醐味なのでやはり残しておこうと思います。記憶に任せて書いているので間違いなどあると思いますが、あとで修正します……。
10/31 2回目見たので気づいた点などちょろっと追記しました。


<前提として>
 一応これを書いている人間はがっつり調べたがる人間なので初日前に以下のものには一通り目を通しました。
・エレファント・マン(映画)4K修復版
・エレファント・マン(舞台)ホリプロ製作版 
・Elephant Man English Edition
・悲劇喜劇 2020年11月号掲載版 エレファント・マン

 とくに悲劇喜劇に掲載された今回版の台本はかなり助かりました。ホリプロ製作のものも出版されているらしいのですが、手に入れるタイミングがなかったので……。ありがとう、悲劇喜劇。
 映画→舞台の順で見たので大筋は同じであれどかなり受ける印象は変わることに驚きました。とくに私が映画でショックを受けたのが再び見世物小屋に戻されるシーン(ずっと倫理観最悪フェスティバルと呼んでた)だったので……舞台では……なくてよかった……。

 それではここからが今回の感想になります。当然ネタバレしかないので気をつけてください。


・最低限の仕切りだけのセットなのですが、これがすごくよかった……。向こうがうっすらしか見えたりほぼ見えなかったりと工夫されているのも良かったです。当然なんですが、こちらから見えない時も小瀧くんはずっとメリックなんですよね。
 メリックの病室と廊下という場面が多いので壁一枚隔ててその話を……というのがまた薄氷の上のようで好きでした。
追記>壁一枚を隔てて、というのが大きく影響しているのがジョン卿とトリーヴズ医師の会話でしょうか。このときよくみたらずーっとメリックは扉のところに立ってておそらく話を聞いてるんですよね。しかも、投資を唆した「詐欺師」ともいえる男、ジョン卿と自身のことを「ジョン」と呼ぶトリーヴズ医師の会話です。そのあとの「、契約を守ってくれるかな」にかかる部分ですね。

・メリックが最初に現れるのはトリーヴズ医師の講義(発表?)の場面です。説明に合わせて何度もコンサートでみた小瀧くんの体の輪郭が変わっていく。もうそこにいるのは小瀧くんじゃなくてジョン・メリックで、映画で再現された姿ととも舞台の上に映されている写真とも大きくダブって、肉体のタフさが何より求められるのがよくわかりました。私が運動音痴なのもありますが、どうやって動いてどうやって歪めてるのかいまだによくわかってません。
 あとこの場面、聴講者の無責任な「私ならどうするかわかっています」という声が客席のスピーカーからするんですよね……。この瞬間の無責任な声はお前らからなんだと突きつけられているようでぞくっとしました。

・再び見世物小屋でのやりとり。メリックが口を開くのはここが最初です。声の出し方をかなり苦心していた(それはそう)と何度も雑誌で言っていたのでどう持ってくるかドキドキしていたのですが、出てきた声がわたしの知っている小瀧くんの声ではなくて聴いた瞬間思い切り息を呑みました。メリックだ……と半ば呆然としつつもお話は進みます。
追記>2回目は一階で見たのですが、苦しげな呼吸の音がよく聞こえて、今回は改めて全身を使った芝居だと実感しました。晩年になるにつれ、呼吸がどんどん苦しげになっていくのも凄まじいものがありました。
 
・見世物小屋にいる女性とお話しするシーン。メリックとしてはあくまで「ロスと商売をしてる」そしてそのことを誇りに思っていることが伺える場面です。得意げに、けれど優しく喋るメリックが正直めちゃくちゃかわいい。無理矢理座るのも可愛い。

・ですが、ロスとしては資本でしかない以上役に立たない資本は捨てられるわけでメリックはお金を取られてイギリスに送り返されます。こ、この興行師!!おまえ!!「ひとりぼっち?」と聞く声がとにかく寂しげで、おそらく意味がわかっていないだろう女性の「カトウセイブツ!」と呼びかける声も相まってめちゃくちゃつらい。
 お金を取られたと訴えても神様と助けを求めても、警官も荷物係りも聞いてはくれない。観客にはわりとしっかり「かみさま」という声が聞こえるだけにつらい。そこに現れて「たすけて」という声を聞いてくれたトリーヴズ医師は間違いなくメリックにとっての恩人だったと思います。

・「規範を守れば幸せになれる」おそらく医師として歪みなく成功してきたトリーヴズ医師にとってはそれは間違いなく真理だったでしょう。ただ、メリックにとっては違う。救貧院ではいくら規範を守って掃除しても叩かれる。救貧院のことを説明するときの「どぉんどぉん」という声がいまだに耳に残っています。一生忘れないと思う。それぐらい切なくて痛々しい声だった。
追記>その前にあるトリーヴズ医師が「メリックをできる限り普通にしたい」と院長に申し出る場面。なんでゴム院長が微妙な顔してるのかと思ったら「メリックをだしにできなくなる」からですね……。

・ケンダル夫人が本当にキュートで、練習するシーンがとてもよかった〜!お美しい!メリックにとって初めて触れた生身の女性。母親がとても美しい人で、それを誇りに思っていたというのは実際もそうだったようです。だからこそその母親と同性の方に触れてもらえるのはメリックにどれだけの衝撃をもたらしたか。
 メリックがケンダル夫人のために椅子を引くシーン。所作がスマート。紳士的だった「ジョン・メリック」に対する小瀧くんの尊敬が見えるようで、とても好きな場面です。
 ケンダル夫人が去り、一人病室に残るメリックが泣く場面で一幕は終わります。
追記>メリックは表情がつけられません。でもすごく「喜んでる!」とかが作れない表情の向こうに見える瞬間があって、その一つがケンダル夫人に本の話題を振ってもらったシーンでした。ぱぁっと顔が明るくなって本当に本が好きなんだな〜と。

・二幕。メリックの服装が変わります。ホリプロ製作だと全編上半身裸だったため、そうなるのかなと思いきやしっかり洋服がありましたね。上半身裸→ボロ布→入浴中→入院着→正装と変わっていくのはメリックが「普通」に近づいていくことへの表れでしょうか。

・クリスマスにプレゼントを贈る人々。受け取るメリックの嬉しそうなこと!どこかで自分が利用されていることをわかっていたんだとは思いますが、それでも嬉しいよね〜!クリスマスツリーが飾れる家があることも、プレゼントがもらえることも。

・明るいクリスマスの反面、純粋でまっすぐなメリックを「自分のようだ」という人々。のちにトリーヴズ医師が「あいつは普通の人の真似が好き」と言いますが、だからこそなのかもしれませんね。

・「この世は幻の幻」「なら両手で作ってくれたらよかったのに」神様を、天国を信じてるメリックがいうからこその途方もない虚しさ。

・メリックとケンダル夫人の雨のシーン。ここちょっといまだに処理できてないので次に答えを見つけられたらなと思います。現実の女性であること……ずるい……うーん……。

・ロスがふたたび訪れる場面!お、お前!!!となりながらもロスに対して言い返すメリックというシーンはこの舞台の中でもいっとう大好きなシーンです。謙虚で何も欲しがらないとたびたび言われているメリックの「失いたくない」というおそれ。利用されていると、見世物小屋でのやっていることと変わらないとどこかでわかっていても「友達」だと言い切る。個人的に一番ここがメリックが人間をしているなぁと思いました。「とった!」ということしかできなかったメリックが「とらないで」と言えた場面でもあります。ここの小瀧くんの叫びが本当に大好きです。昨年の悪魔の手毬唄でも思いましたが叫びが似合う……。オタクとしてはハッピーな役をやってほしいけど同じぐらいつらい役も見たくなる業。

・トリーヴス医師の苦悩。ここは解釈を大事にすべきだと思うのでここもまた後日。苦労してたらしい「おぉ〜」という返し、答え合わせさせてくれてありがとう!あと唯一ここがメリックが自ら病室を出て行く場面でもありますね。
追記>「私は怒っている!」と言わせようとするトリーヴズ医師はあの瞬間メリックに責められたかったのでしょうか。けれどメリックは責めない。天国を信じてるから。

・反転!!!!ここ!!ホリプロ製作見た時から楽しみにしてた!!!26行の長台詞!ゴム院長がロスの役をしていることがまた病院の経営を表しているようで……。
 歪んだ体とうまく回らない口が反転し、スッと伸びた背筋と朗々とした口調。小瀧くんの武器の一つによく通る声があると個人的に思っているのですが、その武器が一気に爆発した気がしてたまらなかったです。「これは伝染病なのです」という断定がまた説得力がある。
追記>2回みても最高でした!!本当に魔法を見てるような瞬間。

・メリックをトリーヴス医師が思う「普通」あるいは「規範」に合わせれば合わせるほど、メリックは死に近づく。自分の物差しに合わせて切り取っていくことは果たして正しいのか。ただの自己満足で自分たちはメリックを利用していただけではないのか。わぁっと浴びせられるセリフがまたトリーヴズ医師のどうしようもなさを表して本当にすごかった。毎回ここ逃げ出したくなりそう。わたしが。

・「まぐれあたり?」とつぶやいてメリックは亡くなります。普通の人のように横に眠って。トリーヴス医師のいうように普通になることがメリックの命を奪うような形で。まぐれあたりとは偶然に目的が達せられること。原作では「Chancey?」と書かれていました。映画ではいかにも自殺ですというように描かれていましたが、舞台では本当にたまたま、ああいう形で亡くなってしまったのだという描き方に見えます。まぐれあたりかぁ……。

・最後の場面でトリーヴズ医師が何を付け加えたかったのかがわかんないんですよね。わからなくてもいいことかもしれないけれど。
追記>これ、模型が完成したことなのかなぁとぼんやり思いました。


<「大丈夫」>
 好きな場面はたくさんあるのですが、その中でも一つ印象的なものが見世物小屋を追い出される直前、警官に乱暴されるメリックをみて怯える女性三人に「大丈夫」と繰り返す場面です。
 これは舞台に対する見方としては誤っているかもしれませんが、小瀧くんのいう「大丈夫」に何度も救われた身としてはすごく思うところのあるシーンでした。それこそWESTVで歌われた「青空願ってまた明日」の「大丈夫、大丈夫」なんて何度思い返したかわかりません。
 そういう「大丈夫」に説得力がある人だからこそメリックに選ばれたのかなと、そうだったらいいなと、映画を見た時から思っています。


 今回の感想はここまで。
 「自担がメリックを演じるということ」とか書こうかなと思ったのですが、まだ書けるほど噛み砕けていないので千穐楽を迎えるまでに答えが出せたらいいなとおもいます。
 
 映画、ホリプロ製作版と見ましたが、小瀧くんのメリックは本当にとびきり優しいメリックだと思います。優しくて純粋でまっすぐで、だからこそ残酷ともいえる言葉もあって、何より美しくて。小瀧くんだからこそできたメリックだと思います。

 このご時勢、本当に幕が開いたことが奇跡です。
 3回目のカーテンコールで聴いた「ありがとうございました!」という声が聞けたことを忘れないようにしながらどうか千秋楽まで無事にやり遂げられることを祈っています。

>追記
 2回目(10/29)は客席も温かな笑いが多くて小瀧くんの作り上げた愛すべきメリックがくっきりと伝わっているような回でした。ケンダル夫人に会う前に髪を整えているのとかかわいいよね。わかる。メリックは壮絶で悲しい青年としても演じることができると思いますが、それを聡明で優しくてどこかキュートで、純粋な「メリック」を作り上げたのは間違いなく小瀧くんと森さんとカンパニーの皆さんの努力だと思います。
 会見の記事も何度も読みましたが、温かくて本当にいい環境でお芝居ができてるのだと伝わってくる会見でした。よかったな〜。
 まだまだ始まったばかり。どう変わっていくのか本当に楽しみです。

 

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