そして旅は続く/ニート・ニート・ニート公開に寄せて

※ニート・ニート・ニートを一部ネタバレしています。



 ニート・ニ―ト・ニートを見ている間ずっとハンカチを握りしめていた。

 最初に安井さんがスクリーンに映った瞬間泣くと思っていたらそこは案外泣かなかった。どちらかというと「安井さんだ!!!」という、実感できない喜びのほうが大きかった。
 一番最初にハンカチが握り締める以外の用途を果たしたのはCALLが流れた時だった。
 思った以上に序盤で流れてきた何度も何度も聞いたイントロ。安井さんと美勇人くんの声しかしないCALL。大画面で流れるそれは誇らしくて嬉しくて、同じぐらい寂しかった。足りない声をどうしても探してしまった。寂しくてなんとなくしばらく聞けなくてもこのパートは誰だったなというのがすぐ分かった自分に驚いた。
 CALLについて消化できないまま物語はすすんでいく。THEロードムービー。北海道の景色にプリンシパルを思い出したりもした。行きたいなぁ北海道。
 クズのまま、変わらないまま、各々鬱憤を抱えて走る車。変わらないままのあてのない旅と北海道の景色とは裏腹にどこか感じる閉塞感。息苦しくてハンカチはきつく握っていた。
 キノブーのおじさんの家に着くと画面にあるものが写る。ギターだった。序盤でレンチが「スタジオが~」といっていた。絶対触るじゃん、ちょっと待ってよという間もなくレンチは嬉しそうにギターに飛びついた。
 その瞬間わたしがかけていたレンチというフィルターが一気に外れた。安井さんがギターを弾いてる。この春に安井さんとLove-tuneを好きになったわたしにとってリアルタイム(ではないけど新しい映像という意味で)その姿を見るのは初めてだった。どうしようもなくなってぼろぼろと泣いていた。ギターを弾いている安井さんが見れたのは嬉しい。でも、なんでスクリーン越しなんだ。どうせなら、どうせなら。
 
 物語の最後まで登場人物は誰も特に変わらない。それでも変わらないまま、月子は探していた鍵を見つけてメリーゴーランドを動かした。
 その「変わらない」ということがわたしにとってはとても救いだった。Love-tuneのことを好きになったあの春のまま、変わらなくていいのだと言われている気分だった。何も諦めなくても、変わらなくても、それでいいのだと。
 月子が鍵を回して停まっていたメリーゴーランドの時を動かしたように、安井さんとLove-tuneが鍵を回して何かを動かしてくれるまできっと私は変わらずに彼らのことを好きで居続けるのだろう。そのことを肯定してくれる映画でよかった。
 「このために好きになったんだ」と思える日はきっとくる。ギターを弾いている安井さんがスクリーン越しじゃなくてもみられる日はきっとくる。足りない声を探さなくてもいいCALLを聴ける日がきっとくる。それを勝手に信じて、その日まで私は安井さんとLove-tuneを好きになった私から変わらずにいようとそう思える映画で本当によかったです。
 改めてニート・ニート・ニート、公開おめでとうございます。

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