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旅する音楽 9:キース・ジャレット『Staircase』 - 過去記事アーカイブ

この文章はJALの機内誌『SKYWARD スカイワード』に連載していた音楽エッセイ「旅する音楽」の原稿(2015年6月号)を再編集しています。掲載される前の生原稿をもとにしているため、実際の記事と少し違っている可能性があることはご了承ください。また、著作権等の問題があるようでしたらご連絡ください。

旅先の雨音は、キースの調べ

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Keith Jarrett『Staircase』

 どちらかというと、僕は晴れ男だと思っている。でも、青い海と白い砂浜を求めてタイに行ったときは、運に見放された。ちょうど雨季真っただ中のバンコクは土砂降り。それでも街中で過ごす分にはまだよかった。しかし、その後の楽しみだった小さな島のコテージに移動してからも一日中、雨、雨、雨。オイルマッサージをお願いし、持ってきた小説を読んでいても、すぐに飽きてしまう。おまけに、梅雨時の日本にいるのと変わりないなあなんて考えてしまい、気分転換のはずの旅行なのに、逆に気が滅入ってしまった。

 そこで、視点を変えて雨を楽しむことにした。冷房の効いた部屋を抜け出してテラスに座ってみる。空を見上げると黒い雲がうねり、中庭からはむっとした大地の匂いが漂ってくる。そして、雨水が奏でる音階とリズム。忙しい日常では気に留めないようなことが、自然と五感に響いてくるのだ。しばらく耳をそばだてていて思いついたのが、雨音と音楽をミックスしてみること。合いそうなのは、歌のない楽器のソロ演奏だろう。ショパンの「雨だれ」なんかがぴったりなのだろうけれど、手元にあったのはキース・ジャレットの『ステアケイス』だった。ジャズの世界ではカリスマ的な人気を誇るピアニストが、1976年に録音した即興演奏のソロ作品。いろんな曲調が入っているが、全体的にリリカルで凛とした印象をもつ楽曲が2枚のディスクにたっぷりと収められている。まさに雨音のごとく音符が戯れる演奏も聴くことができるし、実際小さめのボリュームでスピーカーから流していると、雨音の強弱と絶妙に重なり合い、粋なアンサンブルを奏でていく。もしかしたら、キースもスタジオの窓から天気を気にしながら弾いていたのかもしれない。

 以来、僕は雨に降られてもそれほど気にしなくなった。もちろん、スカッと晴れたほうがいいに決まっているのだけれど、こっそり雨に似合いそうな音楽をスーツケースに忍ばせておくことも忘れてはいない。

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