インスピレーションは、時を超える
こんにちは、タビィです。
前回は、「インスピレーション」とはどういう性質のものなのか?という点について、実体験をもとにした確信、そして、「ヒント」とはどう違うのかについての、私なりの理解シェアしました。まだの方は、こちらからどうぞ!
「インスピレーションは”ヒント”ではない」
今日は、その「インスピレーション」と「ヒント」の違いを、もうちょっと突っ込んで、「時間」をキーワードにお伝えします。
「ヒントを探す」というのは、すでに思考の中で「〇〇をするのに足踏み状態に陥ってる→役立ちそうな情報とか閃きが欲しい→だから(とりあえず××しながら)待つ、または、見つかりそうなところに出向く」と言った時間軸に重心を預けた論理展開が成立しています。
しかも、今この瞬間の自分が欲しがるヒントが、ちょっと先の自分にとって価値のあるものだと信じ込んでいる。今の自分とちょっと先の自分が、同一人物だと思い込んでいる。
エーーーーット、
これはですね・・・遅いです。遅いというか、出遅れすぎです。
「〇〇が欲しいから探す」
この際、ヒントじゃなくても何でもいいですが、この〇〇だから××するという図式、受け身すぎて、あらゆるチャンスや閃きを、取りこぼして行きかねません。
だって、「今」の自分を基準に思考したものを未来にまで引き延ばしてるから。「未知の自分」「まだ現れてない自分」という不確かさを全くリスペクトしてない。それが、頭で考える怖さ・危うさです。
私は、武道をちょっとかじったので、僭越ながら武道的に言わせてもらいますが、この〇〇だから××式の組み立てって、致命的に出遅れてます。命かかってたら、完全に死んでます。それくらい手遅れです。
そうじゃなくて、チャンスとか閃きって、もっと攻と防が同期していたり、疑念や疑問と答えが同時に見えたり、そういうことです。
結果、「自分でもよくわかんないけど、体が動いた」とか、何かに突き動かされるように・・」とかってなると思うんです。
なので、インスピレーションというのは、振り返ってみれば、「ヒント」という体で現れることもありますが、それは同時に、新たな疑問も内包しているがために、ますますぼやけてしまうような感覚を帯びていたり、まだやっていないことの答え合わせができてる感覚だったり、今までの全てがそれでよかった!という確信、そして、自分以外の対象に関しても、くっきりと「これでいいんだ!」と体感として確信している・・そんな、対局が一体に融合したような状態を引き連れてきてくれます。
言うなれば、時間がないんです。時間的な後先がない・・思考が生み出す「このための、こういうヒント」というような、時間軸の因果関係になってない。
だから、疑問と答え、びっくり!な展開と筋書き通りに行ってるような安心感、そう言った対局が一切矛盾してなくて、同時に一体となって存在するのを感じられる・・それがインスピレーションです。
貧相な筋書きと期待には応えてくれないインスピレーションさんですが、では、そのインスピレーションを引き寄せるにはどうしたらいいか?については、前回の投稿「インスピラーションは”ヒント”ではない」の最後にちょっと書きました。
併せて、
“好きの最小単位“という切り口の投稿もありますので、こちらでチェックしてみてください。
「好きなことの本当の姿」
それでは、また次回!
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