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望郷のバラードとルーマニア



ツアーパンフレットの表紙

旅と音楽の企画がうまれる
天満敦子さんとお会いしたのは、私がまだ家業の出版社で働いていた時期だった。当時「望郷のバラード」という曲がクラシック界でのめずらしいヒットとなっていた。天満さんの自伝をCDサイズのコンパクトな本にする出版企画でご本人とお会いすることとなった。その頃、ロータリークラブで親しくしていた古木さんの会社(グローバル)がクラシックコンサートを主催していたので、天満さんを紹介することになり、その結果、グローバル「ルーマニアへの旅」(98年)の実現に繋がった。
はじまりはルーマニア、そしてヨーロッパへ
「望郷のバラード」の故郷であるルーマニアの旅を嚆矢として、天満さんとのヨーロッパの旅が始まった。後にこの一連のツアーを私が担当することになり、ほどんど全てのツアーに同行した。エルベ川やライン川、セーヌ川やローヌ川など、歩くようなスピードでゆったりと進むリバークルーズ。船内や寄港地で演奏していただくヨーロッパの旅は、毎回80人以上のお客様で満席になった。10回を超えるヨーロッパクルーズを含め、今までに30回以上の「天満敦子が奏でる」旅を世界各地で実施するほどの長いお付き合いとなった。ご参加の多くの方がツアーをリピートされ、国内で開催される天満さんのコンサート会場は、旅の仲間たちの同窓会のようにになった。全国の会場で再会を楽しむ方々が増えるという嬉しい現象が広がった。
リバークルーズは「水上のオリエント急行」と称された「リバークラウド」社の船を中心に一艘丸ごとチャーターした。そのことにより船内で自由に演奏会を行なったり食事を日本人向けにアレンジすることが可能となった。ドイツ料理(レストラン「ツム・アインホルン」)の野田シェフやイタリア料理(レストラン「カノビアーノ」)の植竹シェフに乗船していただき、ホワイトアスパラの料理やお天気の良い日中はデッキでのカレーライスランチなどを企画してお楽しみいただくことができた。早朝にデッキの上で行う「ラジオ体操」も恒例となり、参加者には子どもの頃のように参加カードを配って出席記録の判子をおす。皆勤賞として旅の最後にプレゼントをお贈りするのも旅の楽しみとなった。
ルーマニアの旅から発展した「音楽のある旅」はグローバルの特色のある人気ツアーとなっていった。


船上で迎える朝
ベネチアに向かう船上

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