もう金に執着するのやめない?

どうもどーばーです。

あれから無事会社を退職できて、ようやく自由な時間を大量確保することができました。とはいえ、今後稼いでいけるかとか、やらなければいけないことなどの不安がまだ多く残っており、そのたびに吐き気を催す状態になっています。

さっきもその状態になり少しだけ寝ていたのだが、起きた時にある決意をした、もう金に執着するのをやめようと。

さんざんこのnoteでもお金に関する話はしてきたのだが、元来俺は金のためにコンテンツを作ったりするのが嫌いだった。noteで唯一出した有益そうな有料noteも、自分が得意なことだっただけの話だ。ただお金欲しさで適当でただただインパクトのあることしか書かれていないゴミを送り出すということは、俺のプライドが意地でも許さなかった。

近いうちにブログでの新たな稼ぎ方などについて語る記事を公開する予定だが、そこでも俺はこういうだろう。

もう金に執着するのやめたら?

確かに好きなことで生きていくにはそれで飯食えるだけの金は必要。でもそれだけのために時にウソをついたり適当なことを言わなければいけないのであれば、俺はおとなしく会社で働いたほうがましだと思っている。

実際にコアアップデートとかで一気に収益が激減したブロガーとか、最近ではnoteがネットビジネス系の駆逐に本腰を入れ始めたとか、そういうことがどんどん起こっている。

だからたぶん今、金に執着しすぎてネットビジネスとかくそみたいな情報商材で利益を生み出し続けていた人は、今生きがいそのものを失っていると思っている。

そして俺はこういいたい。

金で豊かになるより心豊かにさせたほうがいいんじゃない?

うちの家族、というか実家で暮らしている家族だけど、生活保護受けているけどなんだかんだ幸せそうだったもん。まあ今は父親のせいでいろいろ険悪になりかけているが。

たまに、金よりも大事なものがあるということをいう奴ほど、金を持っていない、ということをいう奴がいる。確かにそれは一理あるけど、でもあればよいってこともないだろ。多分今俺の目の前でそんなこと言われたらフルボッコにしていると思う。

以前YouTubeで俺がよく見るチャンネルの動画の中でこんなことを言っていた。

金は信用を目に見える状態にしたものだ。お金が自分のところに集まるというのは、それだけ多くの人に信用してもらえているということだ、みたいなことを言っていた。

この言葉を聞いたとき、確かになと思った。結局お金というのは感謝の表現の一つだし、それだけ多くの金が集まるということは、それだけ信用して感謝している人が多いのだな、そう思った。

それと同時にこの言葉を今書いたとき、俺は信用されていないのかと落胆したが、確かにそうだなと思った。なんだかんだやるといったことが全部できていないのも確かだ。ブログだっていまだに全然更新できていない。

だから俺は決めた、多くの人に信用してもらえるように、せめて自分がやると決めたことはきちんと完遂しようと。そうするとおのずと人もお金もやってくるだろう。今後は金を金と思わないで、信用と感謝のポイントだと思い込もう、そう決めた。今後は金を稼ぐというよりは、ゲームのように信用というポイントを稼ぐように、人生を楽しもうと決めた。

もし今お金が欲しいと考えている人が読んでいるのならば、まずは自分にできることを考えろ。そしてそのうえで、そのできることを限界までやり遂げろ。そうすることでそれに感謝してくれる人がお金をくれるようになるだろう。

そして今までくそみたいなネットビジネスやごみみたいな情報商材で稼いできた奴、そして現在進行形で稼いでいるやつ。今すぐ改心しろ。今ならまだ間に合う。このままいくと取り返しがつかなくなるぞ。

まああれだよな、ンなこと書いてる暇があればブログ書けやコラ、ということになるよな。大丈夫だ、この後飯食ってから書くから安心しろ。


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