東洋随一のトレッスル橋 餘部鉄橋「空の駅」 ~ Photo ~ Amarube Viaduct, Japan's first trestle bridge

画像1 旧余部鉄橋は、明治45年に山陰本線の最終開通区間の一部として完成した東洋随一の鋼トレッスル橋で、平成22年にコンクリート橋に架け替えられて以降も橋脚3つ分が残されています。
画像2 架け替え前の旧餘部鉄橋です。トレッスル橋は、長いスパンがとれず、多数の橋脚が必要なので河川や海上での建設には不向きですが、陸上橋にするとトータルでの使用部材量が少なくて済むことが特徴。~写真はWikipediaより~
画像3 明治時代の鉄橋建設の歩みです。明治期の米国ではトレッスル式橋脚が多く採用されており、橋脚部材も米国から輸入し、浜辺に陸揚げ後、5ヶ月で組み立てました。橋桁(橋脚の上に水平に渡す部材)は石川島造船所で製作。内陸への迂回ルートも検討されましたが、沿岸部の橋梁通過する案が選択されました。
画像4 昭和61年の強風による列車落下事故を受けて、運行停止基準が風速25m/sから20m/sに引き下げられ、列車の定時性も大きく低下していました。そして橋梁架け替えへの機運が高まりました。
画像5 2010年に開通した現在のコンクリート橋梁。新橋への切り替え後、運行停止の基準が風速30m/sまで引き上げられ、安全性を維持しながら定時運行性も格段にアップしました。
画像6 京都方面のトンネルからはもともと直線でトレッスル鉄橋に進入していました。新しいコンクリート橋はそれを迂回した陸側に建設。高所で強風も吹くなか、数センチ単位の精度が要求される切替工事は想像を絶するものでした。(写真はWikipedia"餘部橋梁"より)
画像7 現在はJR餘部駅の横に平成22年にオープンした「空の駅」として旧鉄橋上を歩くことができます(図は兵庫県HPより抜粋 https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks05/soranoeki.html
画像8 餘部橋梁のすぐ西側(鳥取県寄り)のJR餘部駅です。
画像9 地上40メートルの駅です。明治45年の山陰本線全通時にはここには駅がなく、旧餘部村の住民は最寄りの鎧駅までトンネルを歩いて通っていました。
画像10 昭和30年になって国鉄に働きかけ、昭和34年に餘部駅が誕生しました。
画像11 大人も子供もいっしょに海から石を運び、駅やホームを作り上げたそうです。
画像12 ホームの海側に旧橋梁の線路が残っています。
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画像16 平成29年の訪問時には空の駅からは歩いて地上に降りるしかありませんでしたが、、、
画像17 こちらのライブカメラからも見えるようにクリスタルタワーというエレベーターが設置されました。http://amarube-cam.town.mikata-kami.lg.jp/viewer/live/index.html?lang=ja
画像18 当時はこのように歩いて旧鉄橋の橋脚を見ながら地上に向かいます。
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画像21 途中こちらの分岐を右に登っていくと、橋梁群や駅プラットフォームの反対側に行くことができ、、、
画像22 鉄道写真でも有名なこちらのスポットに行くことができます。
画像23 ライブカメラもこのあたりからのビューだと思われます。
画像24 ほぼ地上まで降りてきています。
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画像26 旧橋梁がない部分の橋脚も一部残されています。
画像27 橋の下は自由広場になっています。
画像28 餘部橋梁と書かれた当時の主桁もモニュメントとして残されています。
画像29 地上には国道178号線が通っていて道の駅もあります。
画像30 2019年に餘部クリスタルタワーが完成し、エレベータでも空の駅に行けるようになりました。(写真は香美町HPよりhttps://www.town.mikata-kami.lg.jp/www/contents/1595899021941/index.html) パンフレットはこちら→https://www.town.mikata-kami.lg.jp/www/contents/1595899021941/simple/reafret_amarube.pdf

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