ぼくの旅路 #22 :追記 1/14
【大学生活に戻り】
当時のわたし:20〜21歳 / 大学生 in TOKYO
◯
アルバイト先は大学の通学路上、終電で家まで帰れるという立地条件で、浪人時代に慣れ親しんだ池袋の繁華街から少し外れたエリアで見つけた。居酒屋の店先に求人の張り紙を見つけ、そこに書かれていた時給は一般よりも良い歩合だったので、「よし、ここだ」と思い、張り紙に記されていた電話番号に電話してすぐに決まった。
そのお店は、いわゆる大衆居酒屋ではなく、気の利いた小料理を出すお店だった。こちらの希望通りにホール係で採用された。旅の資金を貯めるとの目的がはっきりとしていたものだからなんとか続いたが、バイトがある日は朝から陰鬱な気持ちだった。なんだろう、この緊張感、息苦しい感じ…。そのうちに、なぜだかいつも目をつけられていたホール・チーフに呼び出され、「お前は厨房に入れ」とホール係を首にされる。問答無用の人事移動通告。しかし、これがぼくにとっての好機となった。
「料理の経験も、全然ないし・・・」と緊張して、ホール係の青い半被の代わりに渡された白い割烹着に袖を通し「おはようございます」、と厨房に入った初日。「あー、怒られないように頑張ろう」と思って緊張していたところ、厨房スタッフの職人さんたちからは、「あー、いいよ、休みながらやってね。お気楽でいいよ」といった感じで、全くにゆるい。「いい食材入ったよ。これ、食べて、食べて!」「食べなきゃ、わからないからね!」と試食がいっぱい回ってくる。なんだこれは。表の華やかなホールの世界とは打って変わって、この裏方のゆるい世界は…。そして、あのホール・チーフからの不合理な攻撃からも、厨房の職人たちによって張られた目に見えぬバリアーによって、守られている。おお!、こんな表裏一体の世界があったのか。
厨房での仕事ははじめは皿洗いばかりだったが、そのうちに簡単な調理の仕込みなども教えてもらって、任されるようになってきた。料理の仕事を任されると、「職人さんたちはどうやってやっているのかな?」と、好奇心が出てきてより仕事が面白くなってきた。アルバイト先で覚えた料理の技術は、家に帰った日々にも活かされる手応えが、ホール時代では感じられなかったやる気につながったのかもしれない。ホールではいつもチーフの目を気にしながら、かしこまって姿よくしていなければいけなかった。「こうしなければいけない」の道徳観を押し付けられるばかりで、ちょっとお客さんとこころが通じるような会話をしてこころあたたかく感じていたら、チーフの視線が飛んできて「かしこまった、いちアルバイト」に戻らなければいけなかった。厨房では手を動かしながらお話できるゆるやかさもあり、職人さんやたのキッチンスタッフと繋がりをもてた。その気楽さが、伸び伸びとした仕事につながった。もちろん、「バイトに行きたくないなー」と思うことは常々あったのだが、職人さんたちが「賄いができたよー。たくちゃん、仕事は置いといて、冷めないうちに食べてー」といって、「え、これお客さんに出すより気合い入ってないですか!?」というような賄いの皿を目の前にすると、その職人さんたちのこころのあたたかさを、美味しいご飯と共に受け取っている気がした。その思いに、「うん、頑張ろう」と思えた。こうした思いやりによって、仕事場の雰囲気もよくなるし、ということはお店の雰囲気も良くなるし、商売繁盛にもつながるのではないかなー。お店のためにと言って睨みばかりを効かせている、あのホール・チーフのあの野郎め!
この不本意なホールから厨房への人事異動のお陰で、ぼくははじめて「厨房」という職場にも触れたし、職人の仕事をみることができた。このお店は料理を売りにしているところもあったので、厨房では職人さんとアルバイトさんの仕事の境界線がはっきりしていたように感じる。なので、あくまで料理補助といった感じだったか、「こういうテンポで、料理を作って出すのか」といった、全体の空気を常々感じていたと思う。そして、この裏の世界(厨房)から、表(客席)へ料理が運ばれていくのかと、お店空間に内在する二面性を実感した感覚、その違いをありありと体感したことは、日常生活に風穴を開けていく新しい感覚だった。辛いと思って息苦しく感じる仕組みのすぐ裏に、風が吹き抜けていく場所がある。表裏一体の構造がさまざまなところにあって、「どちら側からその景色を見たいのだろう」と、自分の決断によって立ち位置をシフトできる感覚。これは、大学生活を息苦しく感じていた時にLONDONで感じた爽快感と同じである。LONDONのあの時間で大きな風穴が空いた。そして、日本の日常に戻ってきても、その風が色々な事象に吹き込んできていて、風通しをよくしていってくれる。ぼくは、その風にもっと吹かれたくて、その風に乗ってさらなる場所にいきたくて、大学を休学しての「一年の旅」に出ようとしている。大学2年生の1年間は、その準備を粛々としている日々だった。
感謝!