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ぼくの旅路 #1


【 はじめての海外一人旅:LONDON 編 】

当時のわたし:20歳/大学生 in TOKYO

 

 はじめての海外一人旅は、東京で、建築学科の大学に通っていた、一年生から二年生になる春休みのことでした。

 一人旅といっても、ロンドンに滞在し、ホームステイをしながら語学学校に通った、いわゆる語学留学です。しかし、この経験がぼくの意識を世界にむけて一気に広げてくれることになったのです。それは、日本の大学生生活を窮屈に思っていた日々からの、ある意味での脱却でした。

 ロンドンに行こうと思ったきっかけは、ある高校の友人のひと言です。それは、大学の正月休みの年明けに高校の仲間達で集ってフットサルをして、一息ついてみんなで着替えながら缶ジュースを飲んでいるときでした。そこで、高校3年間同じクラスで仲良しだった女の子が「わたしは、春休みに2ヶ月間カナダに留学して英語を勉強してくる」と言っていたのです。ぼくはその言葉を聞いて、すぐさまに「悔しい」と思ったのを覚えています。この「悔しい」の言葉の裏には、こんな感情があったと思います。「あれ、ぼくは2ヶ月もある大学の春休みに、何をするつもりなのだろう?あの子が海外でいっぱい新しい経験をしてくるというのに」。そして、「負けたくない・・・」と思ったのです。そう、ぼくは「負けたくない」と思ったのでした。
 
 その頃のぼくは、大学浪人を一年間経験し、ただでさえ高校の同級生達に少なからずの劣等感を覚えていました。というのも、都内でも有数の偏差値のよい高校だったので、周りのみんなは現役で立派な大学に受かり、華やかな大学生活を送っているのを横目に、ぼくは頑張って浪人生活を一年した割には、結局、思ったような大学に入れなかったのです。人生の挫折です。いまになって思い返してみれば、あの浪人生活の一年間に味わった、ちりちりとした痛みをともなった、空白の日々は、その後の自分につながるとても貴重な時間だったと実感し、感謝の気持ちさえあります。それは、人生ではじめて立ち止まり、自分の人生、将来というものを、まじまじと考えさせられた時間だったからです。もちろん、その当時に、「これ!」という答えが見つかった訳ではなく、ただもがいているだけの日々でしたが、それは、自分自身ではじめて自分の人生をよりリアリティをもって(痛みが大半でしたが)考えはじめた瞬間だったのです。もし、高校卒業後にすんなりと大学へのレールへと乗っかることができていたとしたら、優等生のままであったとしたら、また違った人生観になっていたでしょうね。

 東京で生まれ育ち、高校までは、まさに、サッカー一色の日々でした。小中高とどれだけの時間と情熱をサッカーに注いだことでしょうか。当時は、「プロサッカー選手になりたい」とも本気思っていましたが、だんだんと自分の才能たるものを自覚し、高校3年生を最後にサッカーに見切りをつけてしまったのです。

 大学生になってからは、いままでサッカーに注いできた情熱のやり場に困りました。なにか、いつも不完全燃焼のような、煮え切らない日々。一浪の末、希望の建築学科に入学はしたのですが、いざ入ってみると、なかなかにサッカーをしていた頃のようには、没頭することが出来ませんでした。そのことも、大学生活にずっと立ちこめていた、憂うつ感の大きな要因のひとつだったでしょう。その感情をより深く掘り下げてみると、こんなぼくとは対照的に、同じ教室で目にするいきいきとした様子で、建築の勉強に夢中になっている同級生達への劣等感だったのかもしれません。そう、高校生までのぼくは(自分で言うのもなんですが)それなりに優等生の部類に属していたと思います。まあ正直にいってみれば、ある種の自分より出来ない人たちへの優越感も感じていたことでしょう。しかし、浪人生活の一年間を曲がり角に、自分の立ち位置がコロコロと坂を転げ落ち、劣等生の部類に転落してしまいました・・・。

大学生活の葛藤の日々は、つづきます・・・。
 

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(当時の写真が、手元にないのが、残念なところ・・・)

感謝!